100年俳句計画 2017年7月号(No.236)


100年俳句計画 2017年7月号(No.236)

注意
これは視覚障がい者の100年俳句計画年間購読者のためのテキストファイルです。
通常の著作物と同様、許可無く複製/転載することを禁止します。






目次


巻頭リレーエッセイ
喜多輝女


特集
子規 漱石生誕150年記念シンポジウム
俳句県みんなで詠むぞ575


好評連載


作品

百年百花
 平山南骨/門田なぎさ/大塚迷路/井上さち


新 100年への軌跡
 俳句 紗蘭/岡田朋之
 評  天玲/とりとり




読み物

美術館吟行/あつむら恵女

Mountain Cabin Dispatch/ナサニエル ローゼン(翻訳:朗善)

JAZZ俳句ターンテーブル/蛇頭

ラクゴキゴ。/らくさぶろう

ホンヤクサイホンヤク/翻田訳蔵

百年歳時記/夏井いつき

mhm通信/蓮睡

岡田一実の句集の本棚/岡田一実

鑑(み)るという冒険/猫正宗

朝の見る句/蜂谷一人


読者のページ

100年投句計画
 選者三名による雑詠俳句計画
  桜井教人/阪西敦子/関悦史

 へたうま仙人/大塚迷路
 自由律俳句計画/きむらけんじ
 詰め俳句計画/マイマイ
 100年投句計画 投句方法

短歌の窓/久野はすみ

百人百様E-Haiku/菅紀子

俳句ポスト365

一句一遊情報局

疑似俳句対局/美杉しげり

100年俳句計画 掲示板

魚のアブク

鮎の友釣り



告知

編集後記

次号予告





巻頭リレーエッセイ



七月と言へば
喜多輝女 


 気が付けばもう七月、今年もあっという間に半分終わってしまった。
 七月と言へば「七夕」松山地方は旧暦でするので八月になるが巷は七夕商戦なるものが始まっている。私の店のある城山のロープウェイ乗場にも毎年五色の短冊を用意して観光客に願い事を書いてもらえる様にしてある。
 七月七日の夜は一年に一度織姫と牽牛の逢える夜。是非是非、晴れて逢瀬に胸を震わせて欲しい。何年か前に

 七夕の夜や雨となる雨となる

という句を詠んだことがある。七夕の夜に雨になって二人が逢えなかったのかと思うと心が沈んで悲しみの涙雨か……と思ったが、一説には雨でも逢えて感激の嬉し涙が雨になった。という説もあるらしいので少しほっとしたりして、自分のことでもないのにこんなことに一喜一憂している私って馬鹿だなぁと七夕の度に思ってしまう。


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子規 漱石生誕150年記念シンポジウム

俳句県みんなで詠むぞ575



 6月4日、子規 漱石生誕150年を記念して、シンポジウム「俳句県みんなで詠むぞ575」(愛媛新聞社、子規新報、100年俳句計画主催)を開催した。
 第1部のパネルディスカッションでは、「船団の会」代表の坪内稔典さんをコーディネーターにお迎えして、俳句甲子園出身の若手俳人を中心に、子規と漱石の役割を検証しつつ、今後の俳句のあるべき姿について語り合った。
 第2部では、今年で20回を迎える俳句甲子園を模した「句合わせ対決」を行った。ベテラン「子規チーム」と若手「漱石チーム」とに分かれ、会場の投句からそれぞれ3句ずつ優秀句を選び、時間制限なしで自由に議論を行い対戦した。
 心象画のような俳句や季重なりの俳句など、高校生の俳句甲子園では選ばれにくいユニークな俳句で議論を交わし会場を湧かせた。
 本特集では、出演者代表として第6回俳句甲子園に出場した経験を持つ若狭昭宏さんと観覧者代表として日暮屋又郎さんのレポートをお届けする。


第1部 パネルディスカッション出演者(敬称略) 

司会
小西昭夫(『子規新報』編集長)

コーディネーター
坪内稔典(船団の会代表)

パネラー
寺岡 凜(NHK松山放送局キャスター、第13回俳句甲子園全国大会出場)
若狭昭宏(まつやま俳句でまちづくりの会代表 第6回俳句甲子園全国大会出場)
森川大和(高校教諭、第2回俳句甲子園出場)
キム チャンヒ(『100年俳句計画』編集長)


第2部 議論が名句を作る!「句合わせ対決」出演者(敬称略) 
司会:キム チャンヒ

子規チーム
 小西昭夫、岡本亜蘇(船団の会会員)、岡田天酔(愛媛県立松山中央高校 俳句部顧問)
漱石チーム
 青木亮人(愛媛大学教育学部准教授 国語教育)、若狭昭宏、寺岡 凜
審査員
 坪内稔典
 菅紀子(松山大学講師)
 川又 夕(NHK松山放送局勤務、第6〜8回俳句甲子園出場)
 森川大和
 愛媛新聞社(会場の多数決)


新しい俳句の企画が
新たな子規を生み
その子規が新たな企画を生む

まつやま俳句でまちづくりの会代表
若狭昭宏

 6月4日(日) 愛媛新聞社にて子規 漱石生誕150年記念のシンポジウムが開かれた。前日には神野紗希さんと共に子規 漱石の足跡を辿る吟行会も開かれており、合わせて参加された方もいたようだ。どれだけ参加者がいるかと不安もあったが、結果満員御礼で無事終えられたことを皆様に感謝したい。
 今回の企画は、20代で俳句に熱中した子規と漱石、2人の果たした役割を次世代の俳人達が検証すること。俳人の系譜の中で自分たちがどのように位置づけされるか考えることがテーマだったように思う。
 コーディネーターの坪内稔典さんが言うに、私は「松山で生き残っている男」という認識らしい。これまで俳句甲子園の選手であった時から、「関西俳句なう」を共著するまで、ほとんど私の句は認知されていなかったが、何らかの活動はしている、と。これはおおよその俳人からの評価で間違いないと思っている。
 シンポジウムの打ち合わせをしていると、小西昭夫さんや、観覧者側で記事を書いている日暮屋さん達と、その場でシンポジウム当日以上の論戦が始まるのだが、最終的には、「松山から俳句を発信できるのは自分たちしかいない。だから大会やイベントの運営なども大事だが、それ以上に松山にはこんな俳句を詠む俳人がいるんだぞ!」というアピールの話に行きつく。また、参加者の中からも同じようにアピールをしてもらって、全体で盛り上がっていきたいという願いを度々耳にした。
 いざシンポジウムが始まると、稔典さんの口から「俳句県みんなで詠むぞ575」ではなく「俳句県みんなで詠むな575」という言葉が出てきた。いきなり真逆のことを言い出すとは流石稔典さんと思いながら、会場に笑いが起こる。一人一人句作のスタイルの違いもあれば、個を活かして独自の路を黙々と進むもよしと。やはり自己アピールをしろということに繋がるだろう。その上で、各パネリストの経歴や自選句、好きな俳句などを聞き、一つ目の議題である自分が子規派か漱石派かという話になった。何をもって派とするかは各々の判断だと思うが、今回の話では、先陣を切って新たな取り組みをし、降りかかる災厄すらも句の材料として命尽きるまで俳句を詠みたいのが子規派。俳句に対しても本気だが、子規が残したものがより後世に残るように、各種メディアも活用して実質的に未来に繋がるようにしたいのが漱石派。という印象である。今年20回記念となる俳句甲子園をはじめ、諸々の新たな俳句イベントでは子規の名が先に挙げられ、俳都松山という存在は坂の上の雲ミュージアムや坊ちゃん列車など、漱石の作品で文学の街を知られており、アナウンスでも漱石 子規の順番で呼ばれるようである。
 今回パネリストや審査員として、若手俳人の枠には俳句甲子園のOBOGが集まっていた。俳句甲子園で俳句に出会い、人生が変わったと感じる者はとても多く、森川大和さんや私などは郷里を捨てて松山へ移住を決めている。俳句甲子園の形式はチーム毎の対戦であり、当然負けて悔しい思いをしたり、俳句から離れたいと思ったりする人の話も聞いてきたが、一部だとしても俳句を通して不登校を克服した人、初めて自己表現の手段を手に入れた人、大会に出たいという思いで親や先生の敷いたレールから離れた人など、多くのチャンスが得られる大会になっていることは間違いない。
 時折夏井いつき組長からも話は出てくるのだが、今の俳句甲子園にはその前身となるものがあった。元々はディベートもディスカッションに近く、自他の句の良さも課題も自由に言い合うものだったらしい。当時の立役者たちがこのシンポジウムに関わっているため、第二部では「名句を生み出す」という趣旨に返り、句合わせを行うことになったのだ。会場に寄せられた句から選ばれた6句の中で特に目を引いたのは季重なりの句。時間さえあれば3時間でもこの話題で話せると青木亮人さんが言っていた。今では一句の中に主役である季語は一つ。季感の強弱がしっかりついていれば二つあっても許されるという感覚だが、古くは晩秋から初冬にかけてなど季節の移ろいを表すため、それら両方の季語を入れるというのがメジャーな時代があったという。俳句甲子園で勝てる句を作ることが目的となっている人にとっては、自由で新しい視点に感じられたのではないだろうか。
 俳句甲子園当時の立役者を子規と捉えると、今の我々は漱石であり、楽しく新しいことを企画していた頃から考えると、高校生同士が俳句を使って悪口を言い合っている、運営は大会を大きくすることに必死で少しも楽しそうじゃないと見えるのかも知れない。しかし、今回のシンポジウムもそうだが、俳句甲子園や他の俳句活動を通して生まれた新たな子規が、また新しい楽しいことを企画していく、このサイクルが最も考えるべきことだったのではないだろうか。
 現在、俳句をユネスコ登録するという動き、英語俳句で日本だけではなく世界に俳句を広めようとする動き、気軽に俳人が集まれる場所として俳句BARを作る動きなど、大小色々な活動が進んでいる。また別の機会に書かせてもらおうと思っているが、私も未だ未開拓のところという点で聾の世界に俳句を広めようと動いている。今回シンポジウムに参加していただいた方にも、是非自身を子規 漱石として俳句に関わってほしい。



まっとうな若手俳人よりも
稔典翁のほうが
はるかに元気で強かった

現代俳句協会会員
日暮屋又郎

 今回のシンポジウム、一参加者としての私的感想を述べさせていただきたい。
 壇上の若いパネラー全員が職業を通じ、現在進行形で少なからず俳句に関わっている。
あるものは教育現場で、あるものは放送というメディアで、またあるものは出版というかたちで。またそのほとんどが俳句甲子園出場経験者という経歴を持つ。
 コーディネーターとして、坪内稔典氏の問いかけにパネラーが受け答えするというかたちで討論会が始まった。
そのディスカッションにおいて自分の腑にストンと堕ち、なるほどと膝を打つ事柄があった。それは稔典氏から放たれた言葉だ。パネラーの、自分が高校生の時は高校生にしかわからないような句を作っていたが、今は誰にでもわかる句が大事だと思うようになったとの意見に対し、俳句は世代間を越えられる可能性を秘めながらも、それはなかなかむずかしい。自分は同世代の句しか解らないし、おもしろくない。それが当然で、またそうあるべきだ。誰もが良いという句にはろくなものがないという、かなり過激な発言だ。
 自分の経験上、たとえば職場において、みんなに好かれたいとの八方美人的考えのやつは、決まって誰かの顔色をうかがい、小さくまとまってはいるものの、ただ間違ってはいないだけのことでちっともおもしろくないし、仕事における成果もほどほどである。反対に多少とんがってはみだしている、個性の強いやつときたら、普段遊んでいるように見えて、とんでもない逆転満塁ホームランをかっ飛ばす。しかも単発的ではなく、しばしばそれに直面してきた。
 つまり稔典氏の意見を借りると、このような三段論法が成り立つのだろう。俳句には世代間ギャップがあり、同世代の俳句でなければつまらない。私は年輩とよばれる世代だ。だから今の若い世代の俳句はつまらない。
 現在八十歳代の人と、二十歳前後の人との半世紀以上の世代差はあまりにも大きすぎる。身をもって戦争を知る者と知らぬ者、なにをやっても石さえ投げれば当たり、バブル景気崩壊まで右肩上がりの高度経済成長に、多少やんちゃをしでかし、失敗してもやり直しができた世代と、それ以降の、閉塞感のなかで生きてきた者。後者は圧倒的情報量の多さとその拡散のスピードに、一旦アウトローの烙印でも押されようものなら取り返しがつかず、失敗は許されない世代とも言えるこの違い。俳句を流行歌の美空ひばりとAKBに置き換えると理解が早いと思うのは自分だけだろうか。
 いたって健康でまっとうな若年俳人に対し、ものすごく不健全な毒を吐き散らす稔典翁のほうがはるかに元気で強かった。これが第一部の結論としよう。
 続いて第二部は句合わせ対決。俳句甲子園の原型だそうで時間無制限で繰り広げられる。
 とりあげられた六句は、どれも秀逸で、かなりの手練れ感を否めない。特に気にかかった句が赤の子規チーム、つまり年配組がとった句で、どうやればとられやすいかということを、作者はよく知っているということだ。その背景には俳句甲子園があり、アスリートが勝利することをめざし、日々練習に励むのと同じ感覚で、俳句を競技として捉えているように思える。また、指導者も勝たせてやりたいとの思いで、その方法論を指導する。そのことの良し悪しに対する意見は、人によりさまざまだろう。ただ、あくまでも私見ということで、誤解を恐れずに言わせていただくと、それが本当に自分の伝えたかった言葉なのか、誰かのこと、この場合審査員の顔色をうかがって言わされてはいないだろうか、万が一そうであるとすれば、こんな不健全なことはない。そこが気にかかるところで、自分の単なる取り越し苦労であればよいのだが……。
 ついでにもう一つ、今年は俳句甲子園二十周年にあたるのだが、これも私的見解ということでお許しを願いたい。先程、第一部の坪内稔典氏の意見にはげしく同意した立場から言わせてもらえば、全否定はしないものの審査員、そろそろ古くない? 同世代にしか理解できない、またそうあるべきだとすれば、今風の感覚を持っているもっと若い人に多く審査に加わってもらうほうが、より次の新しい俳句文化を創造して行くのではなかろうか。
 他にも、季重なりの句に対するディベートにはかなりの興味を魅かれた。白の漱石チーム、青木亮人氏の持論の展開にひき込まれてゆく。季重なりとかつべこべ言いだしたのは、たかだかここ百年にも満たない事、季の移ろいは緩やかで、はっきりと今日までが春、明日からは夏だなんてぷっつり切るのは不自然であり、句によっては容認すべきと言う意見にもはげしく同意した。普通これだけ長くしゃべると、話の質量が同じなら底の浅さが見えてくるのだが、青木氏の場合それを全く感じさせない。しかも延々と……。
 もっといろいろな討論の展開を期待したのだが、時間無制限にもかかわらず、そろそろ打ち上げの酒盛りの時間が気にかかるとのことでお開きとなったのである。


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美術館吟行


第31回

「ウェールズ国立美術館所蔵 ターナーからモネへ」吟行会

文 あつむら恵女

参考資料 「ウェールズ国立美術館所蔵 ターナーからモネへ」図録
取材協力 ウェールズ国立美術館展愛媛展実行委員会(愛媛県、テレビ愛媛)、愛媛県美術館
7月23日(日)まで開催



 美術館にはよく行く。絵画 彫刻、どれも好き。吟行は大の苦手。家でゆっくりじっくり考えながら作るので、直観でパッと詠むなどとても無理。しかし一念発起して参加することに。愛媛県美術館「ウェールズ国立美術館所蔵 ターナーからモネへ」吟行会。大好きなことと大の苦手を一度にしたらどんな化学反応が私の中で起きるか試してみたかったのだ。
 梅雨入りしたのが嘘のような爽やかな風の吹く日、八人が集合。ドキドキの吟行会が始まる。

1章 ロマン主義 
 ロマン主義運動は、欧州の地図が相次いで塗り替えられる中、古代ギリシャ ローマ及び近世ルネサンス期イタリア文化からの精神的独立であり、神の似姿としての人間存在及びその文明への絶対的信仰の問い直しでもあった。イギリスでは特に風景画のジャンルでその成果が見られた。 

 「難破後の朝」ジョゼフ マロード ウィリアム ターナー
夏暁の水平線の歪みかな  恋衣
朝凪や漂着物の中に人  ひかる
 「マーゲイトの沖合」ジョゼフ マロード ウィリアム ターナー
小舟揺れ砥粉色した空涼し  あつむら恵女

 加えて、長く豊かな歴史と伝統を持つ肖像画のジャンルにもこの精神は反映された。 

 「ヴォーン夫人」ウィリアム エッティ
貴婦人の胸元深きレースかな  ひかる
彼方なる黒衣にとまる螢かな  恋衣

2章 リアリズム
 19世紀前半のフランスで起きた動乱や技術発展、そこから生まれた近代市民社会を背景に、現実を描くことに価値があるというリアリズムの思想が生まれた。

3章 パリのサロンとロンドンのロイヤル アカデミー
 フランスでは、革命後、国費留学制度を備えるアカデミーは極めて強力な存在となり、サロン(官展)の意義もまた大きいものであった。イギリスは対照的に私的教育が主で専業の職業画家の数も極めて限られていた。しかし産業革命に成功、技術革新により芸術においても急速な発展を遂げる。

 「お人好しといかさま師」ジャン=ルイ=エルネスト メッソニエ
パリー祭それがてめえのやりかたか  日暮屋
 「別離」ジェームズ ティソ
許す過去多くなりけり夏館  日暮屋
最後の抱擁無言の夏館  ひかる
 「ひまわり」フレデリック ウィリアム フロホーク
死を待つひまわりに睨まれるじっと  チャンヒ
ひまはりの花びら葉より乾きたる  遊人
    
4章 印象派
 政府主催で開かれていた公募形式の官展「サロン」への不満から生まれたのが「第1回印象派展」であり、展示した彼らは印象派と呼ばれるようになった。彼らはリアリズムの画家たちが行っていた戸外制作を踏まえ、移ろいゆく大気の表現を試みた。パレットで色を混ぜない、色調の変化を短時間でとらえる、固有色の考え方や輪郭線を否定する、など伝統的なアカデミーの教育と反する新たな表現を生み出していった。

 「パラッツォ ダリオ」クロード モネ
夏潮の満ちてうつろうまま光  チャンヒ
水面涼し静かにひかり重なりて  ひかる
 「サン ジョルジョ マッジョーレ、黄昏」クロード モネ
後妻寄り添うも仲夏の黄昏  日暮屋
 「会話」ピエール=オーギュスト ルノワール
話途切れるな野薔薇が震へをり  あつむら恵女
 「散歩の支度」フィリップ コナード
爪先に力をパラソルを拡ぐ  恋衣

5章 ポスト印象派とその後
 初期の印象派の画家たちの多くはパリを中心に活躍していたが、1880年代のポスト印象派はパリ郊外や地方に移り、新たな表現を模索していった。20世紀になると絵画の変革は一層推し進められ、「フォーヴ」「キュビスム」など現代まで大きな影響を与え続けている。
 「ヴェールの教会」アンドレ ドラン
教会はおにぎり山に夏旺ん  遊人
 「浜辺の裸婦」エドナ クラーク ホール
純白の世界に拒絶さる裸身  猫正宗
裸婦の影短し夏の岩白し  阿昼

 あっという間の時間旅行。急激な化学変化は体内に感じられなかったが、大きな満足感と一枚の絵に対る個々の解釈の違いの面白さを感じた楽しいひとときだった。


あつむら恵女
俳句を始めてちょうど一年。ダンスとロックが大好きな俳人。



ジョゼフ マロード ウィリアム ターナー
難破後の朝
1840 年頃
ウェールズ国立美術館蔵

はるかなる海霧の向こう側の永遠  猫正宗


クロード モネ
パラッツオ ダリオ
1908 年
ウェールズ国立美術館蔵

ゴンドラに薔薇の萎れてゐる夜明け  阿昼




今後の吟行会

7月1日(土)
愛媛県美術館 「所蔵品展」吟行会

7月29日(土)
「培広庵コレクション『美人画』は語る」吟行会

どちらも朝10時現地集合
参加費無料(入館料は別途)
事前に100年俳句計画』編集室までお申し込み下さい。
TEL 089-906-0694


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百年百花


大人コン選考会員4名による4ヶ月間競詠
2017年度 第一期 最終回


呼気
平山南骨

いそひよどり始発列車のぬるりと来
梅雨菌呼気の微量のアルコール
働いて昨日の酒が汗となる
脂臭きホテルの小部屋さみだるる
横臥して聴く雨音と不如帰
紫陽花の茂みに猫の争へる
晩年のやうなる夕餉蚊遣香
段丘に潮騒かよふ栗の花
黒南風や磐を抱く榕樹の根
手に受けて捨つるに惜しき枇杷の種
逢引や泉を囲ふトラロープ
駅売の夕刊一紙虹立ちぬ

1968年生まれ。2005年より作句開始。「鷹」同人。


人嫌い
門田なぎさ

薔薇ひらき薔薇のかたちの朝の風
サングラス越しの海原群青に
青銅の馬が走るよ雲の峰
突堤へ江戸風鈴の青き音
さくらんぼ手足の細き頃ありぬ
太陽の濁りはじめる窓に蟻
出目金は燈台の灯を知っている
劇団の去るよ夜の枇杷ひしめくよ
鷺草や波音ひとつずつ開く
人嫌いな午後なり雨のダリヤ剪る
夕暮れのメロンは美しく運ばれり
夜がざぶんと来て持て余す団扇かな

よい睡眠とよい朝を迎えるために、部屋をすっきりさせることを目標にしています。頑張れ、自分!


てで終わる
大塚迷路

もう伸びる、しか無い、稲の植えられて
残したい草もろともに刈りにけり
地震を見た小さな椅子が夏の中
あの頃は水ばかり飼い金魚鉢
唇に種の水脈枇杷啜る
明滅を病み短夜の信号機
頭を下げよ俳句は文化遺産ですぞ
若返る呪文むにゃむにゃ木下闇
愛はみな逆鱗に触れメダカ飼お
このあたり西瓜の性感帯とみた
虹立って今までの人吾もまた
蟻の道アリはまたアリをサソって

なんとか法が可決された。
当局の気に食わない人と句会をしていたら 当局に句会全員が捕まらないとは言えない。
普通に困る。


島唄
井上さち

はじめてのふなや川席へと蜻蛉
卯の花の川辺に琥珀なる翅音
蕗の中より雪豹のシジム
八十六歳芒種の狂言師
離島旅行の本は空色花蜜柑
時鳥夜を飛びながら鳴きにけり
白南風やバス停の名は月の海
梅雨雲に撓み続ける機翼かな
セグウェイや風に赤翡翠の声
赤き蓮咲く水牛の休む池
水牛車に揺られ夏蝶の島へ
島唄のこぶしころころ星涼し

「いつき組」組員、「街」同人。
季語の宝庫、日土に暮らす。


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新 100年への軌跡


2017年度 第一期
最終回


器楽曲
紗蘭

白雨去るピアニッシモや器楽曲
雨樋のシャトルの眠りさます夏
団扇あおげば空気に触れられる
アイスティー旅券に滲む年月日
昼寝覚背の刺青のみえかくれ
除草剤吸い込む草の息の濃く
時刻表通りに風死んだ
夏服のマネキンの足擡げたる
青林檎友の余命の三週間
駐車券くわえて加速する短夜
晩涼の船にて着きぬ離宮かな
帰省して机上の過去を片付ける
盛夏のジョークに答えるのもジョーク
二千年前の朱色の炎ゆる石
靴のかかと潰して七月を駆ける

紗蘭(さらん)
 1998年生まれ。小3より俳句を始める。第4回句集を作ろう!コンテスト最優秀賞。第5回写真俳句コンテスト課題句部門最優秀賞。2014年に第一句集「静止画の街」出版。2017年より豪メルボルン大学にて建築を専攻。


話している夜中
岡田朋之

またこんな優しいだけの梅雨入りを
結末もないまま夏来る空家
夕焼けの滲む時間を待っている
始発前の線路は曲がり若葉冷
来た道は使わず帰る早苗月
納得はいかずかき氷が消える
指先が無闇に冷たい青葉闇
日傘閉じれば閉じた分だけの距離
香水の場所を子犬のふりで噛む
いつの間にソーダ水が甘すぎる
冷蔵庫だけが話している夜中
夏服が床で賑やか一人暮らし
長い長い渋滞宵闇と並ぶ
流星の尾から流れた嘘のあと
ラムネ溢れたくらいで泣かないで

岡田朋之(おかだ ともゆき)
 1992年生まれ。学生俳句団体ふらここ所属。


無音の本意
天玲

雨樋のシャトルの眠りさます夏  紗蘭
 雨樋に眠るシャトルが醒めるのは、「夏」によって、しかし実は、シャトルの存在に気付いた作者によってである。作者はシャトルを見つけ、同時にそこにある夏の気配を感知する。その発見によって、誰にも見つけられずに雨樋で眠っていたシャトルは、まさに夏にふさわしい白さを放つ。

時刻表通りに風死んだ  紗蘭
 内容にふさわしく、いさぎよく字数をそいだ。風が死ぬ時刻を記した時刻表が存在する、どこか別の世界と、行きつ戻りつしている作者なのかもしれない。

 岡田朋之さんの「話している夜中」は、だれか他の人と、時には濃密な空間で過ごしていても、広大な宇宙にたった一人向き合っている意識が句の情緒の中に見え隠れする。

夏服が床で賑やか一人暮らし  岡田朋之
の無音よりも、
長い長い渋滞宵闇と並ぶ  岡田朋之
時の無音の方がこの作者の本意のような気がした。

天玲
 1969年生まれ大洲市在住。穂積書道教室俳句部部長。


等身大
とりとり

 「器楽曲」も「話している夜中」も、等身大の青春が表されていて、今だから作れる作品だと思いました。 

駐車券くわえて加速する短夜  紗蘭
 バイクか自転車でしょうか。若さですね。「短夜」でますます危なっかしい感じ。

帰省して机上の過去を片付ける  紗蘭
 昔大切にとっておいたものが今は要らない。成長の寂しさのようなものが「帰省」という季語の中に見え隠れします。

靴のかかと潰して七月を駆ける  紗蘭
 「七月」の中途半端な勢いがうまく表現されました。

納得はいかずかき氷が消える  岡田朋之
 かき氷でキーンと頭を冷やしても、やっぱり納得いかないこと、人生にはありますよね。空っぽの氷の皿と苦虫をみ潰したような作者が目に浮かびます。

冷蔵庫だけが話している夜中  岡田朋之
 人工の声が響く、少しホラーな感じが、夏の夜ですね。

とりとり
 1957年生まれ。三重県在住女性。第1回選評大賞優秀賞。


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Mountain Cabin Dispatch


ナサニエル ローゼン(訳 朗善)
山梨で暮らす世界的チェリスト ナサニエル ローゼンのHAIKUとエッセイ


No.48

Bicycling around the lake
Rain clouds above my head
Fast road underfoot

自転車を飛ばす頭上や梅雨の雲

(直訳)
自転車で湖を周る
梅雨雲が頭上を
足の下を道路が飛び去る


 The rainy season is quickly approaching and nature's green colors are darkening their hue. We are late for spring housecleaning but hope it is complete before summer is finished.

 梅雨のシーズンがあっという間にやって来て、野山の緑はその色合いを濃くしている。ぼくら春の大掃除するにはもう遅すぎるけど、夏が終わるまでに済めばいいと思うよ。


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JAZZ俳句ターンテーブル


文 白方雅博(俳号 蛇頭)

第76話

直立猿人
 チャールズ ミンガス


 もう10年ほど前になるかなあ、広島の兄やん(清水末寿さん)の店「Lush Life」を初めて訪れ、ライヴを楽しんだ。その夜は若いジャズメン達がポップな新しいタイプのジャズを演(や)っていて、それはそれで愉しかった。でも、最後は兄やんのしれーっと、時にきゅーんと心に沁みてくるテナーサックスを聴きたくて長居をしたのだが、結局兄やんの出番は無く、二軒目の「Jazz Live Bar Mingus」 のドアを開けた。

原色の街直立の熱帯夜  ジョニー

 店はコテコテ昭和のジャズ喫茶の装いで、10数席のカウンター越しに管球アンプとプレイヤー、天井に接したジムランのスピーカーが所狭しと配置されていて、ドラムとサックス、そしてマスター愛用のコントラバスが収まっていた。レコード棚にはもう何百回もトレースされたであろうLPレコード群が詰め込まれていて、その左側の壁にちゃんとライティングされたチャールズ ミンガスの肖像画を掲げている。そして、おもむろにピアノレス トリオの演奏が始まった。

なんだこの街は蝙蝠が降ってくる  ジョニー

 至近距離で、しかもマイクを通さない生音でマスターの井上博義率いるトリオ演奏を存分に味わい、記念に店で販売されていたマスター名義のCDを2枚手にして席を立った。夜の帳が降る原色の昭和の街をミンガスっぽく猫背で歩いた。

サングラスピテカントロプスエレクトス  うさ

 確かに「直立猿人」の前奏のところは蝙蝠でも降って来そうな感じ、などと感心していたら大阪方面からメール便で飛んできたミンガス俳句トラップにメンバー4人が引っ掛かってしまった。今回のメインテーマ アルバムの英語タイトルに色眼鏡季語ヴァージョンをくっ付けただけの他力本願句。全てカタカナ以外のどこにオリジナリティがあるのか、という苦情めいた疑問は「この季語を選択したことに十分な価値がある」という夜市さんの一言で落着。

風死んで踊り続けるのはピエロ  うさ

 と思いきや、うさちゃんはこの句で一番人気を獲得。もう一つのテーマ アルバムのタイトルでもある「道化師」は、ミンガスがピエロの「滑稽」と「悲哀」を即興のナレーションと演奏、そして陽気な三拍子とピアノの不協和音から始まる二つのテーマで構成させた野心作である。
 道化師は陽気で芸熱心な男であったが、芸は一向に受けない。ある時彼は、一世一代の芸を試みる。おどけたフットボール選手を演じた彼は、誤って椅子から落ちて立てないでいた。が、苦しげに観客を見廻すと、お客は一斉に爆笑しているではないか。彼は偶然の失敗から遂に笑いのコツを掴んだ。しかし、彼は二度と人を笑わすことのできない身体となっていた。

道化師の涙は光らない蛍  チャンヒ

 うさちゃんとチャンヒさんの句は、ミンガスが提示した音と言葉のストーリーとともに味わいながら読むとさらに美味しい。


Today's Turntable

『直立猿人/チャールズ ミンガス』1956年/atlantic
『道化師/チャールズ ミンガス』1957年/atlantic


「JAZZ俳句ターンテーブル」は、筆者がナビゲーターを務めるFMラヂオバリバリ(今治78.9MHz)の番組「JAZZ BLEND」の毎月第2週に特集します。放送は毎週水曜日の深夜23時〜24時。再放送は月曜日の21時〜22時。

次回のJAZZ句会は、7月30日(日)13時より。テーマは我が国を代表するベーシスト鈴木良雄です。アルバムは「My Dear Pianists 〜チンさんと6人のピアニスト〜」をメインとします。参加希望の方は、本誌の句会カレンダーを参照してください。

このコーナーで紹介した俳句とエッセイ、堤宏文さんの写真とを組み合わせた『JAZZ HAIKU』vol.1〜vol.3(マルコボ.コム)を発売中。


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ラクゴキゴ


第七十六話

文 俳句 らくさぶろう


代書
 大汗かく男と冷静な男

 識字率が低かったころ、街の中には“代わりに書く”仕事、「代書屋」があった。
 その代書屋に飛びこんできた男、「ジレキショ」を書いてほしいと頼む。代書屋は「履歴書とちがいますか?」と答え、「履歴書が要るということは、どこかへ就職するんですか?」と尋ねると男は「そんな就職というような大層なもんと違うんです。ちょっと勤めに行きますんで。」
 ……代書屋「この人ちょっと変わった人や」と心の中でつぶやく。
 その予感は当たり、いろいろと尋ねてみればスカタンな答えばかり返ってくる。
代「名前は?」
男「誰の名前?」
代「姓は?」
男「背は五尺……」
代「本籍は?」
男「お願いします!!」
代「生年月日言うてもらえますか。」
男(大声で)「せーねんがっぴ!!」
代「いや、生年月日を言うてもらいまんねん」
男「せーねんがっぴをー!!」
代「学校は?」
男「家の近くにある学校で、桜が咲く時分になると女の子が桜の花びらを針で糸に通して飾りこしらえて、“あんたにはやらへんわ〜”“ア〜ホ〜”というような楽しい学校でした」
代「いらんことはごちゃごちゃと……卒業したんでっしゃろな。」
男「ハイたった2年で。」
代「……中途退学……。」
 大汗をかいて話す男を見て、もうどうにもならんと思った代書屋、適当に書いておこうと決意。最後に「処罰や表彰おまへんやろな?」と尋ねると、
男「ほめられたことやったらおまっせ。新聞に載って表彰状もろた。」
代「え? あんたが? 何でほめられた?」
男「新聞社主催の大食会。大食いの会で大きなボタもち68個食べて。人間の限界を超えた!いうて新聞に写真入り……」
代「そんなアホなこと書けますかな!!」

 実はこの噺、僕が落語に引き込まれるきっかけとなった噺です。
 故桂枝雀師のこの噺をラジオで聴いたとき、腹を抱えて笑い、「落語っておじいさんが座布団の上でボソボソしゃべっているだけじゃないんだ。こんなに面白いのもあるんだ」と感動したのを今でも覚えています。
 その後生の舞台でも拝見しましたが、大汗かいて主張するスカタンの男と枝雀師本人がかぶりぐいぐい噺の世界に入っていきます。大きなジェスチャーで演じる枝雀師は本当に大汗をかき、手ぬぐいで拭きながらの舞台は狂気すら感じるのです。
 昨年、NHK新人演芸大賞の落語部門で最優秀賞に輝いたのが枝雀師の孫弟子 桂雀太さんでした。
 大師匠ゆずりの「代書」。自分なりのアレンジや演出が生かされ、見事な一席でした。
 審査員の一人 桂文珍師はコメントを求められ「枝雀師の代書を自分なりに工夫して楽しゅうございました。」とおっしゃっていました。
 そうです、落語はその噺を得意としていた噺家がいなくなっても確かに現代へ、そして未来へとつながっていくものだとこの噺で感じました。
 余談ですが、八幡浜市出身の噺家(愛大の後輩)の柳家花ん謝はホントに大汗かき。
 本人曰く「これだけ汗かくと、ちゃんとやってなくても一所懸命やってるように見えるでしょ?」
 もうすぐ真打ちです(笑)

噺家の汗飛んで来るかぶりつき


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ホンヤクイホンヤク


 俳句初心者、翻田訳蔵がネット上の翻訳ソフトを使って名句を翻訳、再翻訳し、そこからインスパイアされた(パクッた)句を発表していこうという馬鹿馬鹿しくも実験的で図々しいコラムです。

今回の俳句
 夏羽織われをはなれて飛ばんとす  正岡子規 

 さっそく、Google翻訳(日→英)から

I will fly away from the summer coat ≪

 再翻訳(英→日)

私は夏のコートから飛ぶだろう≪

 夏羽織ではなく、私の方が飛んでしまうようです。コートを脱いで勢いよくプールに飛び込むという感じでしょうか?
 ところで、文の最後に付いている「≪」は何でしょう???

 それは置いておいて、エキサイト翻訳(日→英)

We assume the summer Japanese half-coat breakage is left, and that it doesn't fly.

 再翻訳(英→日)

私達は、夏の日本0.5コート破損箇所が置いていかれると仮定し、それそれは飛ばない。

 「羽織」は「日本0.5コート」と訳せば良いのですね……。で、最終的には飛ばないと……。

 では、Yahoo!翻訳では、飛ぶのか? それとも飛ばないのか?
 Yahoo!翻訳(日→英)

It is far and is going to fly in summer half-coat me

 では、再翻訳(英→日)

それは遠くて、夏学期−被膜の中に私を空輸しそうです

 こちらでは「夏羽織」が「夏学期−被膜」と訳されています……。被膜の中に空輸する……なんだか、ミクロの決死圏を彷彿とさせますね。

 それでは、この3つを受けて一句

夏の日に0.5キロ空輸する  翻田訳蔵


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100年投句計画

選者三名による 雑詠俳句計画




先選者 桜井教人

 私の地元にできる大学のことが、いろいろと取りざたされているようだ。その関連でひとつ気になってしょうがないことがある。それは「忖度」という言葉だ。実は今まで知らなかった。辞書を引くと「他人の気持ちをおしはかること」とある。これでいくと俳句の読みなどは「忖度」そのものだと言えよう。ところがほんの十数年前くらいから「上役などの意向を推し量る」場合によく使われるようになったのだそうだ。もはやほとんど人はそう理解しているのではないか。何だか「忖度」が可哀想になった。政治家はともかく「忖度」の名誉は回復してやれないものか。


風薫る天の岩戸に着信音  彩楓
 何とも楽しい想像をかき立ててくれる句だ。中七の固有名詞から下五への展開が見事。アマテラスが閉じ篭ってしまった天の岩戸、外ではアメノウズメが激しくエロチックに踊り続けている。そこに着信が来る。多分スサノオからだ。「姉ちゃんの様子はどう? 何とかなりそう?」とか聞いてきているのだろうか。記紀の世界と現代が交錯する物語が次々と生み出される。たった十七音からこんなことまで想像できる。本当に俳句は楽しい。


貴賓席に牛の一頭ゐる祭  土井探花
 貴賓とは「名誉 地位のある客人」である。どういう状況でどういう席にいるのだろう。ある種の祭神? 「?」だらけの句だが、日本の伝統ある祭に違いない。まさか、祭のあとは食べられてしまうのか。

木漏れ日の溶けてバナナのパンケーキ  あおい
 食べ物の句は美味しそうにが基本だ。このパンケーキは本当に美味しそう。木漏れ日が溶けてやや明るい茶色なのだろうか。日の匂いとバナナの匂いが上手い具合に混じり合っている。
夕焼の赤は茜に紫に  ひでやん
 一読単純なようだが、この種の句は本当はかなり難しい。見て感じたことをどう表現するか。工夫し考えた結果の「赤」「茜」「紫」なのだ。夕焼けの一瞬のようにも思えるし、時間的経過による色の変化とも読める。

花海桐風の形に這ふ岬  風海桐
 岬と花海桐だと定番だが、そこに風、しかもそれは岬の這う形だと言われると、急にリアリティーが出てくる。海に切り立つ岬、海桐の花が風に揺れている。やさしい海の光も見えている。

登り来て光の隅に夏薊  ひさの
 何より語順がよい。山を登って少し開けた明るい所に出たのだろう。必要最小限で効率のよい状況提示の後、最後に夏薊が鮮やかに残る。個人的には「に」より「の」とする方が夏薊への集約力が強い気がするがいかがだろうか。


アカシアの花と暮ゆく蔵の街  芳香
空の青曲がるがごとき雲の峰  dolce@地味ーず
嵩張らぬ人と暮らせば柚子の花  小川めぐる
波も風も蛇もとぐろ巻く裂け目  桂奈
水筒を斜めがけして薄暑かな  富士山
友眠る山の水音しやがの花  てん点
孵卵器の軋む音あり夏来る  内藤羊皐
吾はひとり日傘あくればきしみたる  あるきしちはる
センセイは五月の風やアンパンマン  未貫
土佐錦のまた見た今みたまた見たい  エノコロちゃん

桜井教人(さくらい きょうと)
1958年愛媛県生まれ。愛媛県公立小学校教員。いつき組。子規顕彰松山市小中高校生俳句大会選者。第2回大人のための句集コンテスト優秀賞。第24回 29回俳壇賞候補。



先選者 阪西敦子

 いかに消費に頼って暮らしているか、暮らしの環境を変えるとそれがよくわかる。喋りたいときに、喋りたくないときに、空腹のときに、小腹がすいたときに、贈りものをするのに、本を買いたいときに、本をただ眺めたいときに、正解が直ちにはわからない。
 こんな季節にはそれも楽しいのだけれど。


吾はひとり日傘あくればきしみたる  あるきしちはる
 「吾はひとり」という、言ってみれば自明すぎる事実と共に告げられるのは、日傘の軋み。強い日差しの中に一歩を踏み出す、おそらく女性の、日傘に鎧う、自立の心持ちも感じられるのである。ひとりの対極にある二人、あるいはそれ以上と比べれば、日傘を唯一の供とした自由の空間へ入る前の軋みでもある。


夜濯にホテルの小さきソープかな  ヤッチー
 旅の夜、その日着たものを宿で軽く洗えば、翌日までに乾いて、それを身に着けて出発する、そんなふうに続ける旅なのだろう。異境にかいた一日の汗が静かに流れてゆく。その安堵は常にも増して。

孵卵器の軋む音あり夏来る  内藤羊皐
 育てているのは何であろう、鶏や鶉の鳥たちの卵だろうか。人工的に卵を孵化させる孵卵器が、音を立てて軋む。生命を育む機械が、それに抱かれた卵が、夏の訪れを感じているかのようだ。

みたやうなみてないやうな牡丹かな  遊人
 白に紅の色を見たといい、百見たと言い、二百、三百見たと言い、暈があると言い……古今、わたしたちの視覚を惑わしてき牡丹。作家たちが、いかに自意識に迫れるか、挑んだ結果、とうとう、ここまでやってきてしまったのである。

鳩なくやぽとりぽとりと桐の花  哲白
 桐の花は散りだしてしまって、それはもうとどめることはできない。ゆっくりとではあるけれど確実に落ちてゆく。その時を淡々と刻むように、鳩は鳴きつづけている。

鉄塔の電線たゆむ夏野かな  童夢U世
 夏野のもつ広さ、期待、勢いのようなものを感じる機会は、だんだんと少なくなってゆく。何か用途のわかるきちんとした野は夏野という気はしないからかもしれない。鉄塔がただあって電線がたゆむ野は、現代において十分に夏野だ。


アカシアの花と暮ゆく蔵の街  芳香
波も風も蛇もとぐろ巻く裂け目  桂奈
母の日の家族麻雀母の勝ち  かのん
少年の指すべらかに五月来る  さより
紫陽花の道を馬上の花嫁は  誉茂子
揚羽蝶花弁の中に絶命す  和音
葉桜や途上に停まるコースター  内藤羊皐
さざなみの干菓子ひかりの夏椿  あるきしちはる
憎らしき母に戻りて立夏かな  未貫
土佐錦のまた見た今みたまた見たい  エノコロちゃん

阪西敦子(さかにし あつこ)
1977年神奈川生まれ。1985年より作句、および『ホトトギス』生徒児童の部へ投句、2008年より同人。「円虹」所属。 2010年、第21回日本伝統俳句協会新人賞受賞。共著に『ホトトギスの俳人101』『俳コレ』など。



後選者 関悦史

 講演と俳句大会の選者で富山に行ってきました。俳句のイベントだと日本中どこへ行っても、だいたい駅と会場と飲み会の店以外何も見ないで帰ることになってしまうので、遠出したわりには旅行した気はしないということになる。それどころか近所に出たときですら、外食はコンビニやハンバーガーのチェーン店で済ませてしまうのが、いつの間にか当然になってしまった。知らない店に入るのが何でこんなに億劫になったのか。

特選
難病の告知を受けし夏の雲  おせろ
 「難病」と「夏の雲」が、意味の方向としては反対なのに、句としては頭韻で結びついており、「夏の雲」が励ましなのか、無慈悲無関心なのかどちらとも定めがたいまま並んでいる点に却って感情がこもっています。

サイクルトレイン四万十の青葉若葉よ  誉茂子
 サイクルトレインは自転車を解体せずにそのまま載せられる列車のこと。愛媛では試験運用継続中のようです。
 列車を降りたらすぐにその中をサイクリングできるという状況で見る「青葉若葉」が新鮮。

一菜で終わる食卓夏の昼  松尾千波矢
 貧しいとか手抜きとかではなく、レス イズ モア(より少ないことがより豊かなこと)の綺麗さと満足をもたらす食卓になっています。時候 天文の季語はどこにでも使えてしまうのですが、ここでは必然性あり。


並選
紫陽花の青から夏の始まれり  中山月波
終着のバスは始発に夏銀河  小川めぐる
一服す水羊羹は抹茶味  レモングラス
湿りたる喪の帯芯よ桐の花  柝の音
まばゆくて牡丹の淵に転落す  風さら紗
青空を吸ひて伸びやか若緑  たあさん
母の背を撲てば咲きたる石榴かな  凡鑽
菖蒲湯の菖蒲ばらまくおかみさん  幸
ダリの椅子持って郭公聞きに行く  藍人
日傘から生まれたやうなハノイ美女  くらげを
初夏の荷にボブ マーリーの切手かな  ヤッチー
片蔭に入れば気づきしヴィオルの音  武彦
草笛の上手き人なり出世せず  小市
産見舞いに箱いっぱいのバナナかな  ぴいす
みどりの夜をすがらに喰らふ蛇女  もね
海道をスマホ片手の遍路かな  松田夜市
水枯れの小沼の祠蟇の鳴く  のり茶づけ
夏空に流れ弛んで万国旗  富士山
かたくりの花の群れ立つ点描画  柊月子
薔薇の渦ほどけて夜の始まりぬ  てん点
日雷天金と成す「金閣寺」  久我恒子
長縄三十五人大地揺らして夏に入る  小雪
イプ ヘケの唄ふリズムや花朱欒  葉音
山の木の太く立ちたる初幟  葉音
バナナむいて黄色い昭和手のひらに  ぐずみ
母の日や母より花を贈らるる  一走人
母の日のリュックに飴と絆創膏  うに子
麦の秋けふなぎ倒す多数決  うに子
紋白蝶まぎれてをりぬ白躑躅  喜多輝女
暗がりにやがて明るく山法師  笑松
鳥の名に猿の字青葉若葉かな  和音
透き通る貝殻ふたつ夏陽をり  ぺぷちど
紫陽花のつつかれている滴かな  台所のキフジン
水軍の赤き褌風光る  明日嘉
駄菓子屋のソースせんべい柿若葉  彩楓
ジャスミンの庭を歩数を緩ませて  青柘榴
ちさき手に宝石のごと天道虫  アンリルカ
開け放つバーの裏戸や初夏の昼  ゆりかもめ
くろがねの貨車軋ませて晩夏くる  緑の手
照らすもの蛙の合唱街灯と  マカロン星人
今朝父と摘みたる葉もて柏餠  ひでやん
蛙の目清きさびしさ田中なる  人日子
鵜の夫婦潜りて浮きて進みけり  ミセスコナン
人生のしだいに寂し青葉かな  遊人
ピンポンパール15センチのフンたなびかせ  エノコロちゃん
天空にスカラベの玉赤く燃え  まんぷく

関悦史(せき えつし)
1969年茨城県生。「豈」同人。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞。第11回俳句界評論賞。2011年第一句集『六十億本の回転する曲がつた棒』刊行。翌年、第3回田中裕明賞。2017年第二句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』、評論集『俳句という他界』刊行。共著『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』他。


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100年投句計画

へたうま仙人



 梅雨真っ最中の候、皆様はいかがかの? 空梅雨気味でお困りのところもあるかもしれんが、本格的な梅雨は今からぢゃ。いつかは雨は降り、止むというもんぢゃ。が、災害にだけは十分に注意してほしいぞ。
 今月も、乾燥材が欲しい句からびっくり水が欲しい句まで揃いまくったぞ。梅雨明けを頭に描きながら読み進んで下されば嬉しいぞ。

炎帝のランチのカルビ盗み食い  佐東亜阿介
更衣見たことがないバカボンの
 炎帝へ打って出るためにはスタミナが何より必要ぢゃ。盗み食いなんぞなんぼでも許すぞ。もりもり元気をつけて、手詰り感のあるこの世界をグイグイ牽引して下され。ぢゃが、カルビ程度を盗み食いする時点で先は見えとるぞ。そういえばアニメキャラの更衣は見たことないのう。レレレのおじさんの超レアな冬服姿は見たことあるが、バカボンはどうぢゃったかのう。下五の「バカボンの」でオチをつけるところが漫画チックでよいぞ。しかし、冬服のキューティハニーだけは見とうないのう。

キリストに土下座してイールイル四十歳  KIYOAKI FILM
気張りまくって気張りまくって漏らす夏飛沫黒墨
 一時、土下座したりさせたりが蔓延しておったが、寒々としたのう。キリストに土下座するのというのがどういう状況なのかようわからんが、四十歳という微妙なお年頃に同情ひしひしぢゃ。いろいろなお漏らしは機密情報も含めてなかなか大変そうぢゃが、飛沫黒墨の芸術の世界ではいろいろ誤魔化せそうな気がせんでもないのう。それが芸術だ!と言われて押し切られたら反論もできん。反対に俳句では、気張りまくって漏らした句に今までに無い自分を発見することがあるのう。漏らすのも時に大事ぢゃ。

母の日に御礼の熨斗あるケーキ  出楽久眞
月涼し干菓子まるいのしかくいの
 あらたまっての感謝の気持ちは照れくさいかもしれんが、感謝して怒られることは無い。母の日くらいは感謝を前面に出さんといけんのう。「に」で報告調になったが、みんなの笑顔が見えてきてほろっときたぞ。干菓子は良いのう。控えめに主張しているところが奥ゆかしいのう。「月涼し」で昼間の暑さがよくわかるぞ。干菓子をもっとよく見て干菓子の気持ちになって描写したら、干菓子はもっと喜ぶぞ。

蓮一輪迦葉の微笑然るべし  藍植生
棘無くば薔薇に非ずと妻笑ふ
 迦葉の微笑には安らぎを覚えたのう。迦葉とは直接会える機会は無かったがSNSで何回かお世話になったぞ。一輪の蓮に迦葉の微笑を見る作者の澄み切った平常心に、頭が下がる思いぢゃ。今や棘のない薔薇の種類のほうが多いと聞くが、やっぱり薔薇には棘ぢゃ。多すぎるのも困るが、女性には棘があるほうが何かと魅力的ぢゃと誰かが言っておったような気がするが、気のせいかもしれん。「棘無くば」と妻に振り向きざまに笑われたら、悲しいかなひたすら平伏するしか手立てがないのぢゃ。厳しいのう。

ゴールデンウィークせっせとやるは畑仕事  柊つばき
新学期頭かかえる集金額  
 畑仕事には連休も何もないのう。ましてやゴールデンウィークの頃は種蒔きに多忙ぢゃ。次の収穫のための地味な畑作業は、俳句に通じるものがあるのう。これからも収穫と自己満足のための作業は延々と続くのぢゃ。これでいいのぢゃ。頭かかえる程の集金額とは、いったいどんな学校へ通学されておるんぢゃ? 大変ぢゃのう。いずれにせよ、真面目な若者たちの未来を大人の責任で少しでも明るいものにしたいものぢゃのう。そのためにも、せっせと種蒔きぢゃ。

臺の下蛙鳴かずや休庵日  元旦
ロック座を出で陽の眩し聖五月
 「臺」をどう取るかで解釈が分かれそうぢゃのう。土地か台か。台としたら、どういう行事でその上に何が載っているかで鑑賞も変わるし……悩ましいのう。ましてや、古文の一節とか諺の類となればもうお手上げぢゃ。それにしても「蛙」の存在感には圧倒されるぞ。聖なる五月のある日、ロック座を出る影のなんと輝いていることか。ロック座で眩しいものを見た後のかすかなうしろめたさを追い払いつつ、さらに眩しく初夏の陽を感じるておるんぢゃろうな。ちょっとうらやましい……ぞ。

進化途上止血バンドの薄暑かな  みやこまる
はだいろが消えた母の日のクレヨン
 生き物は今だ進化(変化)の途中ぢゃのう。想像もつかん長い時間をかけて進化してきた生き物をこの時代で絶滅させているとは、人類はどこまで暴走するんぢゃろうな。止血バンドを人類のどこに貼れば暴走は収まるのかのう。作者は、止血バンドを貼るたびに自身が進化途上なのを自覚しておるんぢゃろうな。「薄暑」で少し救われる気がするぞ。いったい「はだいろ」とは何色を指していたんぢゃろうなあ。最近は逆転の発想で、いろいろな肌の色を集めたクレヨンがあるそうぢゃが、はっきりとした意図と意識があれば大いに結構な事ぢゃ。母の日とクレヨンの関係を読み解くより、むしろその感覚を味わうとするぞ。

雲に日に土に紛れる夏雲雀  坊太郎
葉桜や丸太の椅子に吾と風と
 高低と遠近が効いた句ぢゃのう。子育てのあとのひと時の安堵の時を満喫している雲雀の姿が鮮やかぢゃ。多いかもしれん材料を「紛れる」の一言で纏めた演出も憎い限りぢゃ。「吾」のほかの丸太の椅子に在るものを句に置けばもっと広がりが出たかもしれんが、葉桜と丸太の椅子の絵本のような世界に魅かれるのう。懐かしい気分に浸れる句は貴重ぢゃのう。

ピロリ菌検査二回目青嵐  小木さん
だと思わせる老人のサングラス
 快方に向かいつつあることが「青嵐」でわかるぞ。全く、ピロリ君にはやられましたのう。ぢゃが、俳人としてピロリ君を恨んではないはずぢゃ。病を憎んで菌を憎まずぢゃ。人それぞれの脳に「だと思わせる」老人像が浮かび上がったら、作者の術中に入ったということぢゃ。読者の意識をちょっとずらした「サングラス」の置き方も名人技ぢゃ。おっと、こんなずらした句は、いたずらした時の板の摩擦係数の小数点以下の数字と一緒に、こんなはずじゃなかった場所へ追放!!


クレマチス孤高の紅が咲きにけり  真歩
そら豆を袋いっぱいもらいけり
 クレマチスのことを余すところなく報告して頂いて恐縮ぢゃ。「孤高」の一言で「紅」の尊さがわかりすぎるほどよくわかるぞ。孤高の紅を潜ませる蕾とか、いろいろな角度でクレマチスを眺めたらもっと面白くなるぞ。別にそら豆でも銀杏でもすててこでも良いような気がするかもしれんが、ここはそら豆が良いのう。おそらくレジ袋にいっぱいもらったと思うが、生活の匂いと季節の香りとご近所とのおつきあいの様子が実に良いのう。この後のビールまで見えてくるぞ。この句もただの報告の句のように感じられるかもしれんが、二句のこの違いが俳句の醍醐味ぢゃ。おっと、こんな違いがわかる句は、ボタンの掛け違いで険悪になっているカップルの車の中へ、掛値なしに追放!!

 今月も追放者を出してしもうたが、なあに犬も歩けば疲れが溜まる、ぢゃ。疲れは疲労に禁物ぢゃ。そんな時は勇気をもって休もうぞ。そしてこの夏を乗り切るのぢゃ。
 ぢゃが、くれぐれも油断召されるなよ。
 

へたうま仙人 
年齢 卑弥呼がおっぱいを飲んでいた頃、ワシは青春真っ只中ぢゃった。
好きなもの 霞のシャーベット(PM2.5抜き) 嫌いなもの 上手な俳句
将来の夢 大器晩成


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100年投句計画

自由律俳句計画



 歳をとると人の名前が出てこないくらいは当たり前で、フツーの言葉も突然出てこない。同じ歳の友人が重症だ。「あのほら、いま中国がやろうとしてる大きな構想あるやろ。あの一進一退とちがう、あのほら一攫千金ちがう、そのほら日進月歩と違う、一致団結みたいな、真実一路みたいなやつ……習近平が言うてるやつ……」。「一帯一路構想」とわかっていたけど面白いので知らんぷりしておいた。老いるのはツライな……。




髪切ったねとも言われず冷素麺  のり茶づけ
 女性にとって髪の毛を切るというのは、男が想う以上に深いものらしい。たとえ暑苦しさを紛らわすためという、きわめて実利的な理由にしてもそれに気づいてくれないことへの寂しさは、男の理解の範疇を越えているものらしい。そんな寂しいような、やや腹立たしいような気分を、口語調の表現がよくとらえている。なんの気取りも愛想もない「冷素麺」が句全体を冷え冷えとまとめあげてウマイ。




指先に線香花火の一生  みやこまる
 縦横無尽にはじけまくる絶頂期から、終焉近く思い出したようにはじけてはさらに粘りはじける線香花火を、人の生涯とみればそれはそれで感慨深い。指先に繰り広げられる線香花火の在り様は、己の生涯なのか誰かの生涯なのか、長いようで短いようで。

子を産むが如く蛍光る  小市
 暗闇に光る蛍の尻を、「子を産むが如く」と見た発想力が句のちから。蛍の尻の点滅は生命の発露、息遣いそのものにも思える。「蛍光らねば地味な虫」とは対極の蛍へのみごとな賛歌。

云わなくていいこと云うわ抱いて  台所のキフジン
 とってつけたような「抱いて」の解釈の仕方で句が変わる。作者の意図を受け止められているのか気になる句だけれど、そこが不思議な魅力になっている。「抱いて」は、愛する人への小言の前振りなのか……。自由律ならではの着地の仕方の妙。

隣町に虹の足  出楽久眞
 たったの十一文字ですが、なかなかのスケール感。虹を橋に例えてというのは、もう云い尽くされているなか、虹の「足」は斬新でよく効いている。虹の足がどうのこうのと云い過ぎてないところが、大きな景を大きなままにしている。

スカラベよ紺碧の空へ玉押し上げよ  まんぷく
 スカラベは、いわゆる糞ころがしだろう。スカラベが丸めた糞を「玉」とし、雲ひとつない碧い空へ「押し上げる」と言う見立てが句の器量をまさに押し上げた。小さい虫から高い空への視点移動もみごと。




ラムネから抜けていった想い出  佐東亜阿介
来る雲遅し行く雲早し  藍植生
青芝に泣いた日もある「友達なんか、いらん」  小川めぐる
短夜の頭蓋骨にこだまする怒り  風さら紗
アンモナイト触れば万緑が匂う  もね
鬼灯の家へ何度も帰る夢の中  のり茶づけ
はなよめと言ふ名の白桃のありにけり  喜多輝女
片羽の蝶へ近づく蟻  和音
条件付き離陸卯の花腐しかな  きさらぎ恋衣
大連休の空豆のにおいが並んでいる  多満


並選

無駄と知りつつ鏡の前の若作  芳香
安定剤に食欲の副作用かな夏の滝の  KIYOAKI FILM
雨が降るたび流転する紫陽花  中山月波
日の本のかの阿波男児優しく懸命  レモングラス
呑みましたとも安本丹になりたくて  柝の音
無知蒙昧な旅に出る日雷  桂奈
誘蛾灯でお連れ様がお待ちです  凡鑚
苔の上に落椿死す  幸
深呼吸して泣き出す  藍人
マタニティードレスと風と雀と  くらげを
約束を破って針千本の昼寝覚  ヤッチー
伸びて縮んで蚯蚓  小木さん
シテイを闊歩して麻服  ぐずみ
犬も食わない夫婦喧嘩を聞いてる  一走人
傲慢な薔薇揺らすベル  うに子
「わからん」と言う勇気若葉風  さより
自由律俳句とは不自由と鳴くホトトギス  元旦
神経痛の身に夏がくる  ぺぷちど
夏野へと匕首を隠す  内藤羊皐
一人ぼっちなのか一人なのか  彩楓
トラクターのろのろ夏鳥のぞろぞろ  青柘榴
吾と三匹の猫夜会  ゆりかもめ
死ねなかったのか切り岸の蝶  緑の手
ジャーマンアイリス外国人枠に引っかかる  土井探花
母の日の一日遅れの船橋屋のあんみつ  マカロン星人
手にゲーテ五月の空へ鼻歌を  あおい
吹きかけてみる風車  人日子
末の娘の六月の恋  ミセスコナン
泉に時計がない  遊人
始めるとは捨てること立夏  坊太郎
金魚のふんの切れの悪さよ今更に  エノコロちゃん


自由律で再挑戦を!

潮の香の暑さに混りゐる浜辺  みつよ
鳴くや地球の病んでゐたるとも  みつよ


きむらけんじ
1948年生まれ。第一回放哉賞他。自由律俳句結社「青穂」同人。句集『圧倒的自由律 地平線まで三日半』(象の森書房)、写俳エッセイ『きょうも世間はややこしい』(象の森書房)、句集『昼寝の猫を足でつつく』(牧歌舎)、『鳩を蹴る』(プラネットジアース)他。特技 妄想、泥酔。


「放哉賞」再興。自由律を動かせ!
第一回尾崎放哉賞 作品募集

応募締切 2017年12月10日(日)必着
投句料 
 一般の部 2千円(2句1組 何組でも可)
 高校生の部 無料(2句1組まで)

 一般の部 大賞 賞状、10万円 ほか
 高校生の部 最優秀賞 賞状、クオカード5千円分 ほか
送り先
 〒545−0041 大阪府大阪市阿倍野区共立通1−1−9
 (株)たまてばこ内 尾崎放哉賞事務局
主催 自由律俳句結社「青穂(せいほ)」

詳細は……
http://www.hosai-seiho.net/


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100年俳句計画

詰め俳句計画



今月の問題
次の(  )の中に共通する夏の季語を入れてください。

この坂の上に母校や(  )
(  )とはアポロンの惑ふ空


この坂の上に母校や揚雲雀
揚雲雀とはアポロンの惑ふ空
 松尾千波矢さん。春の季語でした。残念。級外。

この坂の上に母校や夏の川
夏の川とはアポロンの惑ふ空
 中山月波さん。前句、捉えどころがない上に視線が上下して落ち着かない。後句も季語が茫洋としていて具体的にどんな川なのか想起しにくい。5級。佐東亜阿介さんは更衣。前句は面白い視点。だが後句、なぜアポロン? なぜ空? 4級。あるきしちはるさんはソーダ水。前句、自販機で買って飲みながら坂を上がる光景が浮かんだ。後句、「アポロンの惑ふ」まではいいのだが「空」で解らなくなる。同じく4級。KIYOAKI FILMさんの蟷螂生るは前句、字余りながら印象的。後句も子蟷螂が出てくる様子などは「惑ふ」とも響きあう気がするのだが、やはり「空」が解らない。同じく4級。

この坂の上に母校や青芒
青芒とはアポロンの惑ふ空
 台所のキフジンさん。前句、かなり寂しいところにある母校なのでしょうか。後句「惑ふ」まではいいが「空」で解らなくなる。4級。以下植物できた方々。青柘榴さんは松落葉、ほろよいさんは月見草、うに子さんは百日紅、幸さんは朴の花、くらげをさんは青葡萄。いずれも後句の「空」が引っかかる。4級。

この坂の上に母校や熱帯夜
熱帯夜とはアポロンの惑ふ空
 エノコロちゃん。前句はどういう感慨なのか不明。後句もアポロンが太陽のイメージなので夜の季語は合わせにくい。5級。たあさんは半夏生。レモングラスさん、藍人さん、一走人さんは五月闇。前句「母校」に何か暗い思い出が? 後句、気分は合っているが、五感に訴える具体的なものがないのがやや弱いか。4級。内藤羊皐さん、あいむ李景さんは夏の果。これも後句、抽象的なのが難だが、前後句ともかっこいいので2級。でるたさんは原爆忌。前句は原爆体験者と共に現地を巡っている場面を想像した。後句、人類の所業にはアポロンも戸惑っているかもしれない。同じく2級。

この坂の上に母校や御来迎
御来迎とはアポロンの惑ふ空
ヤッチーさん。自分の影が霧に投影され、その周囲に円虹を生じる現象のことで高山でみられる。西洋ではブロッケンの妖怪などと不気味な名前が付いているが、日本では仏の来迎になぞらえてありがたがられる。前句、シェルパの養成校?? 後句、確かに太陽神ともみなされるアポロン側からこの現象をとらえるとそうなのかも。5級。ジュミーさんは夏霞。前句、破綻はないがぼんやりしている。後句も納得するが、霞だから太陽が惑っているという因果がわかりすぎるのがやや難。4級。のり茶づけさんは夏の月。前句は見上げる視線がフレーズに合っている。後句は夜のイメージではないような。明惟久里さんの夏の星、柊月子さんの梅雨の星、葉音さんの旱星も同様。同じく4級。緑の手さんは清和天。清々しい季語で前句、青春性が感じられる。が、後句はその清々しさ故に「惑ふ」とどうか。芳香さんの五月晴も同様。3級。笑酔さんの夏夕日、小川めぐるさんの大西日も前句、印象的な映像になるが、やはり後句、「惑ふ」感じではない気がする。同じく3級。矢野リンドさんの油照も前句の臨場感はとてもいいが、後句「惑ふ」がどうか。同じく3級。藍植生さんは梅雨晴れ間。桂奈さん、鈴木牛後さん、ひでやんさんは梅雨晴間。後句はこの微妙なニュアンスの季語が「惑ふ」と合っているが、前句、母校にどういう感慨を作者が抱いているのかわからずもやもやする。同じく3級。久我恒子さん、人日子さんは日雷。前句、母校に特別な思い入れがありそう。後句は「惑ふ」がベストかどうか。もう少し激しい言葉が欲しいかも。同じく3級。れんげ畑さん、遊人さん、坊太郎さん、童夢U世さんは夏の空。前句、爽やか。後句は空の繰り返しが楽しい。ただ、内容的には上下で「空」が約分されて「アポロンの惑ふ夏」だけになりちょっともったいないか。2級。みやこまるさん、元旦さんは二重虹。前句、ロマンチック。後句、虹の美しさにアポロンも「惑ふ」か。同じく2級。小市さん、片野瑞木さんは朝曇。前句、「母校」にいた頃の記憶に季語が橋渡しをしてくれる。後句はやや因果が付き過ぎか。同じく2級。dolce@地味ーずさん、しげこさんは大夕焼。前句、美しくダイナミック。後句、暮れていく空は「惑ふ」感じが確かにする。1級。出楽久眞さん、河原撫子さん、彩楓さん、ひさのさんは雲の峰。前句、かっこいい。後句、雲の迷路で「アポロン」も「惑ふ」かも。同じく1級。

この坂の上に母校や青あらし
青あらしとはアポロンの惑ふ空
 小木さん。喜多輝女さん、笑松さん、誉茂子さん、ゆりかもめさんは青嵐。青葉の頃に吹くやや強い南風のこと。前句、青春の荒々しさのようなものが、季語に託されていて素晴らしい。後句のような「とは」を使った句では「とは」の前後が付き過ぎない方がうまくいくことが多い。「空」にあるものを直接詠まずに風を詠んだことで句に広がりを持たせることに成功している。二段。きさらぎ恋衣さん、マカロン星人さんは麦の秋。時候の季語ながら映像も確保される点が利いている。前句、母校への愛を感じる。後句、あまりに美しい「麦の秋」が広がっていて、そこに太陽が薄ぼんやりと浮かんでいるような光景を思い浮かべた。あるいはゴッホの絵を想像してもいいかもしれない。同じく二段。

今月の正解
この坂の上に母校や蝉時雨
蝉時雨とはアポロンの惑ふ空
 正解者なし。前句、聴覚によるデジャブ感がポイントだが、オリジナリティーにやや欠けるか。後句、蝉時雨をずっと聴いていると音の迷路に入り込んだような気になるのは私だけでしょうか。その気分を表現してみました。自己判定初段。


解答募集中!
次の(  )の中に共通する秋の季語を入れてください。

海回りなる(  )の一両車
(  )や浜に鴉とゐて吹かる

7月20日締切 結果は9月号に掲載

マイマイ
2003年11月頃よりラジオに投句を始める。割と生活派俳人だったが、最近は?? 第1回、第4回百年俳句賞(旧大人コン)優秀賞受賞。2013年句集シングル『翼竜系統樹』上梓。将棋推定初段。棋友募集中。宇宙と生命を題材に詠んだ句集『宇宙開闢以降』マルコボオンラインショップにて発売中。


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100年投句計画 投句方法



雑詠俳句計画 または へたうま仙人
自由律俳句計画
詰め俳句計画

 「雑詠俳句計画」と「へたうま仙人」は、どちらか片方にのみ投句できます。なお「雑詠俳句計画」では、寄せられた投句を一括して、各選者が選句します。各選者に宛てて個別の投句を行うものではありません。


7月号掲載分締切 7月20日(木)

投句方法

 投句先コーナー名
 俳号(無ければ本名の名前のみ)
 本名
 電話番号
 住所

 以上の必要事項を書き添えて、編集室「100年投句計画」係までお寄せください。メールの場合は、件名を「100年投句計画」としてください。
 各コーナーそれぞれ2句まで投句できます。また、「詰め俳句計画」は季語1つのみを投稿できます。
 各コーナーの投句は、ひとつにまとめて送っていただいても構いません。

メール宛先
magazine@marukobo.com

投稿専用ページ
http://marukobo.com/toukou/

※ハガキ FAXの宛先は本誌の裏表紙を参照してください。

さらに多くの投句をしたい方へ
 松山市が運営する『俳句ポスト365』など、無制限に投句を受け付ける場もございます。ぜひご活用下さい。(「俳句ポスト365」のページ参照)


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短歌の窓


選者
「未来短歌会」所属、「遊子」同人
久野はすみ


短歌の窓

選者
「未来短歌会」所属、「遊子」同人
久野はすみ


特選

白蓮の縁の宿の水上の湯船に架かる若楓かな  芳香
 白蓮ゆかりの宿といえば、水上館だろうか。「水上」と「湯船」が縁語になっており、上の句全体が序詞の役割を果たしている。「の」の繰り返しによるリズミカルな調べも良い。それらの修辞(レトリック)が、露天風呂から見た若楓の瑞々しさを際立たせ、旅の喜びをいきいきと伝えている。


並選

ブラウスを花の白さに変へただけ何かが違ふ朝のトースト  風
 早春はまず、菜の花の黄色から。桜のうすべにを経て、次第に木蓮や花水木などの白があふれてゆく。その日選んだブラウスは、きっと眩しい初夏の花の白。ちょっとした変化を繊細に感じ取る心が、日常を輝かせる。

「おかえり」と名の付く祭りある加賀の美川に父の遺骨を撒けり  時計子
 石川県白山市美川地区の「おかえり祭り」は、若者たちのラッパを先頭に豪奢な台車が練り歩く、パワフルなお祭り。作者のお父様は、故郷を出て長く都会で暮らしていたのかもしれない。遺骨を抱いて訪れた町で出会った「おかえり」の一語。故郷が亡き人をあたたかく迎えてくれたようである。

新築の家にへんぽん鯉幟どんな子かしら元気に育て  彩楓
 新築の家に立つ鯉幟。青空に翻る様に、まだ見たことのない子どもを想像し、「元気に育て」と願う。ストレートな詠いぶりが成功した。翩翻のひらがな表記も、作者の心の弾みを表している。


コメント

広重の版画のごとく蝙蝠の出没したる川沿いの宿  暮井戸
 広重をよく知らなくても想像できるところが面白い。「版画のごとき蝙蝠」ではなく「版画のごとく…出没したる」となっているのは疑問。

母の日の夕餉の目刺ぢゅあぢゅあと焼けば嫁よりメロン届きぬ  久我恒子
 目刺で夕餉を済まそうとしたら、高級なメロンが届いた。母の日の一コマに、くすっと笑ってしまう。「ぢゅあぢゅあ」というオノマトペも巧み。

敗戰を知りたるあの日のさるすべり赫として現在も咲き居り  藤田あき
 敗戦の日に見たさるすべりの色に思いを託した。「咲き居り」と言い切ったところが良い。「赫として」を「赫々として」とすると定型に収まる。

夏霧の途切れとぎれに都井の駒灯台の元野猿群れをり  藍植生
 美しい旅行詠だが、都井の駒の情景と野猿との関連が分かりにくい。ポイントを絞るか、二首に分けてみては。 

熱きまま子等に届けん筍をごぼごぼ茹でる大鍋いっぱい  柝の音
 「ごぼごぼ」に実感がある。ぶつ切れにならないよう、語順の工夫を。
 
さよならをいはずに君は手をあげてあの日と同じ炎昼の駅  きさらぎ恋衣
 映画の一場面のような一首。上の句で一度切った方が、後の景色が生きる。

書くことの好きな子のいて弾む声ただひと文字にひと晩をかけ  台所のキフジン
 ひと晩かけて字を書いているというが、どういう場面を詠ったのだろう。書道なのか、幼子が字を習っているのか、もう少しヒントがほしい。

母の日の電話今年もお互いに無理せぬように風邪ひかぬよに  殻嵩はるお
 共感できるが、ありがちな内容になった。添えられたお便りには、もっとリアルで具体的な情景が書かれている。体験をしっかりと掬い取り、作者にしか描けない歌をつくってほしい。


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自作の俳句を英語に訳そう!

百人百様 E-haiku



評 菅 紀子


 シンポジウム「俳句県みんなで詠むぞ575」に参加させていただき、初めて審査員を経験しました。旗上げは思いの外楽しかったです。一方、本コラム参加者のみなさまの奮闘を思い浮かべつつ、俳句を英語にする大変さをチクチクと挟んでおきました。これからはたとえ国内イベントでも俳句は世界文学なのだという自覚を持ちたいですね。

1.
Church is sister
60thyen!
I love you

教会の姉妹は六十の君  KIYOAKI FILM

at church
sixty years old
my dear sister

紀 「姉妹」とはキリスト教会で女性の教会員を指す呼称、「君」は好意を持ってそう呼んでいるので、英語で好意的、親密な人の呼び方の一つ my dear としてみました。


2.
Summer is mountain
Kids Gospel
I like happy song!

夏の山子どもゴスペル歌いけり  KIYOAKI FILM

mountain in summer
kids singing
the gospel songs

KIYOAKI FILM 洋画を見ていると、インディアンと喋ったり、外国人が外国語を喋るのでびっくりします。故 巨泉さんのような英語に憧れます。
カタコトしか喋れないような俳優が海外にお住まいとか、いるみたいです。凄いなあと思います。ケビン コスナー監督「ダンス ウィズ ウルブス」は白人がインディアンと交流してアカデミー賞なので、驚いて今も見ます。


3.
had a dream of your smile
in the gap between
a short night

短夜の隙間の夢の笑顔かな  中山月波

dream
at the crack of a short night,
your smile

中山月波 今回初めてマガジンを購入し、英語に興味があるのでトライしてみました。よろしくお願い致します。

紀 中山月波さん、初めまして。between A and B というふうに通常二つの間を示すか、複数にします。明確な二者間ではないので at the crack of dawn (夜明けに)に倣って of にしました。crack は文字どおり裂け目とかわずかな隙なのでここの隙間は比喩的な意味合いになるかと思います。


4.
I usually play shogi on bench
after finished a quick bath
on summer evening

行水を終えて縁台将棋かな  たあさん

after a quick shower
on an outdoor bench,
time for playing shogi

たあさん 将棋はshogiでいいのかどうか分かりませんが……。

紀 shogi でいいようです。縁台は辞書では野外のベンチ、縁台将棋はa game of shogi played on an outdoor bench と訳されていました。行動順で2番目と3番目を入れ替えました。


5.
for from the sea
white shell
on a balcony

海見えぬ露台に白き貝の殻  片野瑞木

on a balcony
without the ocean view,
a white shell


6.
leg of crane fly
is lighter
than its shadow

ががんぼの己が影より淡き脚  片野瑞木

leg of crane fly
more faint
than its shadows


7.
The open room
which scatteresof the 'sosyo' style
on the hanging scroll

掛け軸の草書のおどる夏座敷  出楽久眞

a hanging scroll
the sosho style letters are dancing,
a guest room in summer

紀 草書はsosho の他に a grass hand とか grass style などの訳がありました。草書体の字が踊ってるわけですね。


8.
Summer cloud,
there is a pancake
in the open terrace

夏雲やオープンテラスのパンケーキ  出楽久眞

summer clouds,
a slice of pancake
at an open terrace

出楽久眞 こんにちは。三行で作ることに少しずつ慣れて来ましたが、音節を意識することまでいたりません。ご指導よろしくお願いします。

紀 こんにちは、出楽久眞さん。音節は英和辞典を引いた時単語が で区切られていればその数、なければ一つと数えます。例えばsum merで2つ、piece は区切りがないので1つ、ter raceで2つなど。縛られると窮屈なのであまり拘らなくていいのではないですか。パンケーキ一切れは a piece of、一枚は a slice of、一皿のは a dish of pankace になります。


9.
the shadows of beasts
are becoming dim-
a great sunset

獣らの影薄れゆく大夕焼  久我恒子

the silhouettes of beasts
fading out-
against the setting sun

紀 dimはほの暗い、記憶や過去がおぼろげな、fade outはもともと映像や放送用語か。とすると参考訳は映画のワンシーン的趣でしょうか。シルエットは夕日をバックに。


10.
「mayday,mayday」
trains of the May Day
are crowded

メーデーと叫ぶメーデー電車混む  久我恒子

“mayday mayday”
shouting of the May Day
on a crowded train

久我恒子 「mayday」は、(フランス語で「助けてください」のm'aidezから)無線電話の国際救難信号です。(広辞苑より)
この言葉は辞書でたまたま見つけました。辞書を読むってやっぱり楽しいですね。

紀 久我恒子さん、辞書を読むから見つけられることですね。


11.
Below Blue Sky
Filled of fragrant bloom
Of Citrus

花蜜柑空の青さを香りたる  ほろよい

under the blue sky
filled with the fragrant
oranges in bloom

ほろよい 空の下…… under または below 結局 below を選んだんですが? お教えください。

紀 ほろよいさん、belowは(場所が)下手に、underは(位置が)真下に、で空の下はunderでしょう。in bloomで花が咲いて、in full bloomで満開で、となります。


12.
one of broad bean
is bomb,
the city is

蚕豆のどれかが爆弾の都市よ  チャンヒ

one of the broad beans
must be a bomb
a metropolis

紀 〜の一つ、というときは複数ある中の一つなので必ず後ろを複数にします。それは特定のものなので定冠詞のtheをつけます。one of the 〜s 。
第2節ははじめ might (かもしれない)としたのですが、言葉に確信に近い勢いを感じたので must (にちがいない)という助動詞を選びました。あるいは助動詞はなくして a time bomb (時限爆弾)とだけもよし。人それぞれだと思います。


13.
in the night of the moth
as fingertips are baked,
the guiter is

蛾の夜を指先焼けるほどギター  チャンヒ

in the night of moths
playing the guitar until
the fingertips get burnt

紀 蛾の飛び回る夜に、指先が火傷するまでギターを弾いている、と解釈しました。ギターの綴りは guitar 。


14.
spring has come
the time for the discs replacement
of Bach with Mozart

春立つやバッハをモーツァルトにかへ  明惟久里

it' s spring
the time of Bach is gone
and Mozart has come


15.
crackling crackling
cinnabar torches
of the Water-Drawing Ceremony

ぱちぱちとはねずはぜるやおみずとり  明惟久里

紀 詩として of を取っても良いですね。

明惟久里 はじめまして。4月号からの読者、日本語の作俳歴もまだ浅い見習いです。御誌も今は読むだけが精一杯ですが、拙句英訳がぽわんと浮かびましたら(そんなにうまく浮かばぬと思いますが)、送らせていただきます。添削ご指導よろしくお願い申し上げます。

紀 明惟久里さん、はじめまして。


16.
a harmonica
in the depths of the drawer
when the wheat ripen

引き出しの奥にハモニカ麦の秋  彩楓

a harmonica
at the back of my drawer
wheat ripens

紀 麦は三人称単数なので ripens 。「麦の秋」を直訳しても意味がわからないので「麦が実るとき」と訳したのは良いと思います。


17.
blood circulates
through the human body
wind on young leaves

人体を巡る血液若葉風  彩楓

blood circulates in us
winds shaking
young leaves

彩楓 笑い猫は grinning cat ですね。有難うございました。スペルの間違い気を付けます。月に一度の英文なので……続ける事で英語と仲良くなりたいです。

紀 彩楓さん、「人体を巡る血液」にあたる説明を省きました。


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百年歳時記


夏井いつき

第49回


 有名俳人の一句を紹介するページは世に数々あれど、「市井の逸品」とも呼べる一句を取り上げ鑑賞する記事はそんなに多くありません。
 百年先に残したい佳句秀句奇々怪々句を見いだし、皆さんと共に味わおうという連載は、名づけて「百年歳時記」。夏井いつきの目に触れた様々な作品を毎月紹介鑑賞していきます。


苹菓酒(サイダー)の星の産卵待つ夕べ  凡鑽
 兼題「菓」から「苹菓酒」という言葉を見つけてきました。「苹果」と書けば林檎の実を意味しますが、サイダーなので「苹菓酒」と書くのだと初めて知りました。洒落た字面ですよね。
 サイダーを注ぐと泡がいっぱい出てきます。その泡のひとつひとつがまるで「星の産卵」であるかのようだ、ちっちゃい星が生まれてくるようだ、という一句。その比喩のなんと美しいことでしょう。新しい星が次々に生まれ、そして年老いた星が次々に滅びてゆく宇宙。何千億年何万億年という時間の営みの中で、「星の産卵」は繰り返されているのです。「苹菓酒」をそそいだ硝子の中に宇宙を見いだす。下五「待つ夕べ」もまた美しい時間であります。
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』5月5日放送分)


朱欒の花飾る牝牛のお嫁入り  穂の実
朱欒の花一尺玉になる予定  ひでやん
 前句、東南アジアの光景でしょうか。「牝牛のお嫁入り」とは、牝牛をどこかにあげるのか、売るのか。あるいは人間の嫁入りの持参品として「牝牛」も貰われていくのかもしれません。濃厚な香を放つ「朱欒の花」が飾られている光景そのものが何ともトロピカル。大きな実をつける「朱欒の花」らしさに溢れた作品です。
 後句も非常に面白い発想です。「一尺玉」とは、花火用語。「朱欒の花」は、見事に実っていつか「一尺玉になる予定」なんだよね、という語り口にウィットがあります。「一尺玉」という表現は、花の形容でありつつ、やがて大きな果実となる比喩でありつつ。そんな二重の意味が仕込んである点も読者を愉しませます。
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』5月19日放送分)


選り分ける砂漠の写真アイスティー  小田寺登女
アイスティーそして孤独な石が好き  のんしゃらん
 前句、「選り分ける」とありますから、この句は実際に自分が砂漠に行って「砂漠の写真」を撮ってきたカメラマンだろうと読みました。撮影時の様子を思いつつ砂漠の写真を選り分けていると、当時の喉の渇きを思い出すのかもしれません。氷のいっぱい入ったアイスティーの心地よい喉越しを愉しんでいるに違いありません。
 後句、「アイスティー」の琥珀色から「石」を連想したのでしょうか。冷たい「アイスティー」と「孤独な石」を愛する孤独な僕がここにいるというメッセージは、「アイスティー」の美しい赤褐色をより鮮明に印象づけます。「孤独の石」とは琥珀に閉じ込められた気泡や虫かもしれないと、そんな想像も浮かんできました。
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』5月26日放送分)


芒種なり秘詞を次郎に口伝して  谷口詠美
 「芒種」とは【芒を持った植物の種をまくころ。】田植えの前の作業の一つ「種蒔き=稲のもみを苗代にまく作業」をするのが「芒種」。二十四節気の一つ「芒種」は、田の神さまを招く神事とも関係している季語なのです。
 上五「芒種なり」と断定するところから一句が始まります。「秘詞」とは、田の神を迎えるための祝詞だろうと思います。代々親から子へ「口伝」される「秘詞」を、今年は「次郎」に伝えているというのです。「次郎」は次男の名。では、一家の跡継ぎであるはずの太郎はどうしたのか。病気で亡くなったか、農業を嫌がったか。はたまた出奔、駆け落ち……と、一家の物語が様々に想像されます。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』6月9日掲載分)

青芝に天使の痛覚のはなし  Y雨日
 目の前にあるのは、柔らかな「青芝」。二人かそれ以上の人物が「青芝」に座っているのでしょう。なぜそんな話題になったのかはわかりませんが、「天使」に「痛覚」があるのかないのかについて語り合っているのです。天から「天使」が落ちてしまったら痛いのかな?「天使」って生身の体は持たない、魂みたいなものじゃない? じゃあこの「青芝」の上に墜落しても痛くない? うーん……。
 「天使の痛覚」という詩語は「青芝」の色彩と手触りを想起させます。下五「はなし」の一語を平仮名表記でさらりとおさめているあたりも、言葉のバランス感覚のよろしさ。次に「青芝」の上に座るときは、私も「天使」について考えてみようと思います。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』5月26日掲載分)


百年歳時記は、南海放送ラジオ『夏井いつきの一句一遊』や
松山市公式サイト『俳句ポスト365』http://haikutown.jp/post/
などに投句された俳句を紹介します。


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俳句の街 まつやま

俳句ポスト365



協力 松山市

「俳句ポスト365」は松山市が運営する俳句の投稿サイトです。
毎週新しい兼題が発表されます!

http://haikutown.jp/post/


金曜日優秀句
平成29年5月度


薄暑(はくしょ)


大学に我が影のある薄暑かな  井上じろ
沈黙五分薄暑の生徒指導室  このはる紗耶
千枚の窓洗い終え街薄暑  霞山旅
水ぶきの廊下匂へる薄暑の日  しろ
身ごもりて薄暑の海の漂色  三重丸
薄暑光会釈してさて誰かしら  あつむら恵女
薄暑光封じ冷めゆく吹きガラス  たんじぇりん金子
九龍のもの売る匂ひ夜の薄暑  久我恒子
狸穴のテーラーに行く薄暑かな  ラーラ
名画座に「昼顔」観ていたる薄暑    小川めぐる@チーム天地夢遙
ソノシートのぐわんと間延びする薄暑  マーペー


黒板消す薄暑の大きストローク  トポル


青芝(あおしば)


ユニホーム青芝つけしまま交換  鯉太郎
青芝に腹這いファウルの笛を待つ  GONZA
青芝やフィールドの投擲の光り  紅の子
青芝や廻りて匂ふさかあがり  しゃれこうべの妻
青芝は何故だか雨を甘くする  カリメロ
青芝に沈むラヂオのダウ平均  かもん丸茶
売られたる青芝空が立方体  たんじぇりん金子
青芝や観光船の笛低し  ちびつぶぶどう
ぐんぐんぐんぐん青芝迫るパラシュート    めいおう星
夏目君発ツ夏芝ノ英国ヘ  このはる紗耶


青芝に天使の痛覚のはなし  Y雨日


7月の兼題

投句期間 6月29日〜7月12日

蜩(ひぐらし) 初秋/動物
晩夏から初秋にかけて、カナカナカナと響きのある美しい声で鳴く蝉。早朝または夕刻に鳴くが、特に夕刻によく鳴くことからこの名がある。鳴き声から「かなかな」とも呼ばれる。

投句期間 7月13日〜7月26日

菊日和(きくびより) 仲秋/天文
菊の香のしみ通るような、澄み渡った秋の日をいう。各地で菊花展が開かれたり、菊人形が作られたりなど、目や心に菊の存在を感じられる日和である。


参考文献 『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


 「俳句ポスト365」は携帯電話からもご参加いただけます。
 「俳句ポスト365」公式Facebookページ開設中! 公式サイトに設置しておりますリンクよりお入りください。毎回の兼題のお知らせを中心にお伝えしながら、皆様の返信欄への書き込みもお待ちしております。


 募集の兼題は変更される場合があります。「俳句ポスト365」のサイトで最新の情報をご確認ください。


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一句一遊情報局



協力 南海放送


金曜日優秀句
平成29年5月度




菓子型に元和二年とあり朧  小泉岩魚
諦念や麩菓子に渇く春の舌  鞠月
喪返しの菓子ほろほろと春尽きぬ  ひそか
春闌ける匂いに菓子の焼き上がる  鯛飯
透きとほる菓子はつなつの客来る  月の道
駄菓子屋の金魚の年を問うており  はまゆう
水菓子のナイフ光っている薄暑  佐東亜阿介
一寸の菓子一輪の水中花  山田ノムオー
点滴のない方の手で氷菓持つ  菊池洋勝
真夜中の月の匂いの氷菓子  富山の露玉


苹菓酒の星の産卵待つ夕べ  凡鑽


清和(せいわ)

飴売りの声の伸びきる清和かな  あねご
清和なる天へ最後のクラクション  越智空子
やわらかく勝馬撫づる清和かな  鈴木麗門
天清和犀は角より歩きだす  ひそか
羅さんの美しき日本語天清和  小野更紗
招待状に清和の心地よき厚み  亜桜みかり
天清和一斗も飲めばよろしいか  理酔
清和なる天喉鳴らして水を飲む  太郎
深く吸い吐けば清和の手足なる  香野さとみ
どんぐりの如きちんちん拭き清和  土井探花
山頂は岩一枚や天清和  マイマイ
開眼や清和の空を指す擬宝珠  小泉岩魚


竹そよぐ暗やみ坂の清和かな  田中ようちゃん


朱欒の花(ざぼんのはな)

黒潮へふはんと朱欒の花の声  あおい
噴火口眺むる台地花朱欒  たぁさん
今日は灰少ないらしい花朱欒  三河のぽんぽこ
朱欒の花香れば雨になるだろう  エノコロちゃん
朱欒咲く乗船の列白がちに  ひそか
朱欒咲きゴンガガ村に帰省する  トキコ
頭に載せて運ぶ荷物や花朱欒  もも
喧噪のハノイの午後を花朱欒  長緒連
太陽と朱欒の花とネップモイ  石川焦点
アオザイの子ら香る寺花朱欒  月の道


朱欒の花飾る牝牛のお嫁入り  穂の実
朱欒の花一尺玉になる予定  ひでやん


アイスティー

しんと動かずアイスティー越しの指  ひそか
アイスティと答えてあとは空と海  越智空子
アイスティーからんかららん恋かしらん  小川めぐる
アイスティー薄し勧誘だったとは  鞠月
鎌倉は明るしアイスティー渋し  だんご虫
推敲のレモンたっぷりアイスティー  葦たかし
四時間の通し稽古やアイスティー  小野更紗
昼の部の化粧を落としアイスティー  あいむ李景
アイスティーにスコーンレノンに丸眼鏡  凡鑽
ストローはサリーの色やアイスティー  朝日


選り分ける砂漠の写真アイスティー  小田寺登女
アイスティーそして孤独な石が好き  のんしゃらん



投句募集中の兼題

投句締切 7月2日

夏の霜(なつのしも) 三夏/天文
夏の夜に月光が地上を白く照らし出している様が、あたかも夏に霜が降りたかのようであるという見立て。

汗拭い(あせぬぐい) 三夏/人事
暑さで流れる汗を拭き取るためのもの。ハンカチがもっとも一般的ではあるが、ハンカチ自体は一年中使用しているため季節感はやや乏しい。


投句締切 7月16日


季語ではない兼題です。「廃」という字が詠み込まれていれば、読み方 用い方は問いません。季語は当季を原則として自由に選んでください。

三伏(さんぷく) 晩夏/時候
陰陽五行説に基づいて、夏至後3回目の庚の日を初伏、4回目の庚の日を中伏、立秋後最初の庚の日を末伏というが、その3つを総称していう。


投句締切 7月30日

菜虫(なむし) 三秋/動物
菜、蕪、大根などの葉に付いて、これらを食い荒らす虫の総称。

はららご 仲秋/人事
広義には魚類の卵巣のことだが、季語としては、鮭の卵を指していう。


参考文献『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


夏井いつきの一句一遊
南海放送ラジオ(愛媛県 AM1116kHz)
毎週月〜金曜 午前10時放送
週替わりの季語を兼題に、要努力の月曜日から優秀句の金曜日へと、紹介される俳句のレベルが上がっていきます。最優秀句「天」を目指せ!

投句宛先
〒790-8510 南海放送ラジオ 「夏井いつきの一句一遊」係
Eメール ku@rnb.co.jp

こちらからも番組へ投句できます!
http://www.marukobo.com/media/


※ 掲載の俳句は、有志によって朧庵(http://575sns.aritani-mahoro.com/)の掲示板「落書き俳句ノート」に書き込まれたラジオの聞き書きをもとにしたものです。俳句ならびに俳号が実際とは異なっている場合がありますのでご了承ください。


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今回のお題句に対する投句から次のお題句を選び繋げてゆく

疑似俳句対局


選者 美杉しげり


 今月はお題句に漢字が多かったせいか、「いただいた自立語」が皆さんけっこう分かれてました。俳句対局の戦略として漢字一字を選ぶというのは、やはり定石ですね。


今回のお題句
乗換の高田馬場や手に扇  恋衣


候補句

高階の玻璃に触れくる山紅葉  柝の音
 今月、最も早く投句されたのが柝の音さん。紅葉と玻璃の取合せがとても美しく、かつ新鮮で惹かれます。私は山の小さなホテルを連想しました。同時投句「夏空へニッカポッカの足場鳶」も山の景ですね。

心太に換算すれば六突分  中山月波
 「換算すれば」なので、まだ心太にはなっていないのですね。そのくらいの量のテングサを獲ったという場面なのでしょう。あるいは、全く違うものを心太に換算したのだと考えても面白そう。

馬場鶴田猪木三伏体育館  上里雅史
 プロレスですね。懐かしい名前……などと書くと世代がばれてしまいそうですが。三伏の体育館で、その三人の試合見ていたらとんでもなく暑そう! 全て漢字なのもいいですね。

老馬首を傾げて眺む朴の花  ぐずみ
 優しい句です。朴の花ですから、すぐそばで見ているというよりは、離れたところから眺めている感じでしょうか。朴の花と周囲の山々と……。
 「交換の日記手渡す木下闇」「巣鴨から田端目指すや蟻の列」「乗車券三鷹と記載桜桃忌」など、多彩に意欲的に投句してくださいました。

高校生夏をぶつける大短冊  ひでやん
 これはストレートな俳句甲子園へのエール! 六月は各地で地方予選も開催されます。どんな句が登場するか、今から楽しみですね。
 同時投句「乗換は一時間待ち合歓の花」もさりげない情感が素敵。

乗換の都度折りたたむ白扇  藍植生
 言われてみれば確かにね……という仕草です。白扇なので、上品な老紳士を連想しました。何かにつけ折り目正しい人、という印象ですね。

 自立語「手」から、偶然ながらこんな二句。
蚊を叩く手は今母の尻を撲つ  凡鑽
無作法の蚊打つや手骨まで痺れ  土井探花
 そろそろ蚊も活動を始める頃ですから、ある意味タイムリー? 凡鑽さんは母の尻撲ってるし(いったいどういう状況?)、探花さんは骨まで痺れてるし(そこまで力入れなくても〜)、これは俳諧味勝負というところでしょうか。

手を擦り生還祈願蠅のごと  柊月子
 こちらも自立語「手」からの一句。生還祈願という大仰な言葉と「蠅のごと」のギャップが愉快。ただ、言葉の並びは「蠅のごと手を擦り」にしたほうが、読み手にすんなり伝わりそうに思います。

秋櫻子忌の手を握る妊婦かな  佐東亜阿介
 「秋櫻子忌」とはなかなかマニアックな季語を選択されてますね。(もしかして俳句ポストのお題から発想?) この妊婦さんが握っているのは誰の手なのか、なぜに秋櫻子忌なのか、いささか謎な句ではあります。その謎がこの句の面白さではあるのですが。


次回お題句
乗り出せば真帆へ南風や独り勝ち  久我恒子

 真帆は「追い風を全面に受けて十分に張った帆」となると、南風と意味的に重なる部分があります。そこは気になりましたが、下五の「独り勝ち」に惹かれました。実際にレースなどしていてのものなのか、はたまた心理的な意味合いでのものなのか私は後者寄りの読みです。南風を受けて爽快に海原を滑りゆく時の気分は、まさに「最高の独り勝ち!」なのかもしれません。こんな気分、味わってみたいものです。
 同時投句「母さんのトスの手高し夏休み」も好きでした。ママさんバレーなのかもしれないし、あるいはテニスのサーブトスなのかも。背景の青空が見えてきます。


美杉しげり
 第8回俳句界賞受賞。4年ほど前から小説も書き始め、短編「瑠璃」で第21回やまなし文学賞佳作。美杉しげりはその時からのペンネーム。

毎月25日頃に、投句フォームにてお題句を発表します。投句締切は毎月末日。

疑似俳句対局投句フォームアドレス
http://marukobo.com/taikyoku/


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mhm通信


第76回

文 蓮睡


今後のmhmの予定は?

 今年もはや半分が過ぎ、折り返しが来てしまいました。mhmでは、まる裏から始まり、花見、総会ときて、少し一段落……かと思いきや、会を盛り上げるために、臨時総会を開くなど、色々と画策しております。発表したいこともいくつかあるのですが、会長から皆さんに直々にお伝えしたいとのことなので、次回以降のお楽しみ、ということで。
 わたくしの方からは1点、来年のまる裏俳句甲子園について、現在の状況をお伝えしておきます。まる裏は例年、子規博で1月の3連休の中日(成人の日の前日)に開催してきましたが、諸事情により、開催場所と日程を見直さざるを得なくなっています。できれば、例年と変わらず開催したいのですが、まだ決まっておらず、再検討をしている状態です。詳細が決まり次第、また皆さんに報告させていただきます。お知りおきください。
 会の活動予定として、7月15日(土)(雨天時翌日順延)に、松山市古川にて、久兵衛会夕涼み会の句会ライブを担当します。地元のお祭りで、子供と成人の部に分かれてそれぞれ俳句を紹介します。成人の部は昨年まで2年連続で同じ方がトップとなっていますが、果たして今年はどうなりますでしょうか?
 ところで私、mhmの会計を担当して3年目になりましたが、先日の総会で、一緒に担当していた雪花さんが担当を外れることになりました。
 皆さんお忙しい中、イベントを成功させようとボランティアで実働してくださるおかげで、mhmは成り立っています。雪花さんは会計の重鎮で、これまでいろいろな庶務を行っていただいていました。この場を借りて感謝をお伝えしたいと思います。
 さて、mhmでは毎年役員 会員限定で日帰り旅行に行っています。昨年は10月ごろ、倉敷の大原美術館を中心に、ガイドさんと共に街並み散策や、ランチに舌鼓を打つなどして楽しみました。
 実は、この日帰り旅行には一つのジンクスがありまして……それは、「計画した人は都合が悪くなって当日行けなくなる」というものです。今年は伊予灘物語の予定となっておりますが果たして……?
 旅行といえば実は、毎年花見の席でチャリティ句会ライブを行っている、女川への旅行案があがっています。実際に行って、この目で見てみたいと、mhm内外から希望が出ていたからです。参加は広く募集するつもりですが、会員、もしくは役員だけの特典がありま……あるかも?
 日程はまだまだ調整中ですが、興味を持たれた方はぜひ一緒に行きましょう! 計画立案者も募集しています。
 ……え? ジンクスですか? (笑)

 mhmでは、これからも色々なことに挑戦する予定です。どんなことをするのか気になったあなた、ぜひ一度、定例会に遊びに来てみてください。次回は2017年7月28日開催予定です。

 mhmでは松山市内外問わず会員を募集中です。原則、毎月最終金曜日19時からマルコボ.コムにて定例会を行います。偶数月は懇親会も開催! 興味のある方は事務局(mhm_info@e-mhm.com)またはFacebook(http://www.facebook.com/mhmhaiku)まで。


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岡田一実の

句集の本棚



フラワーズ カンフー
小津夜景 著

発行:ふらんす堂(2016年初版)
152ページ
定価:本体2,000円+税

 著者の第一句集。

 あたたかなたぶららさなり雨のふる

 タブララサ【tabula rasa】とは哲学用語で「〈何も書かれていない書板の意〉感覚的経験をもつ前の心の状態を比喩的に表現したもの」。これから刻まれ始める「書板」が春雨に濡れる。冒頭の一句にこれから書き込まれるだろう様々なものを感じて期待感が増す。

 鳴る胸に触れたら雲雀なのでした
 晩春のひかり誤配のままに鳥
 即興の雨をパセリとして過ごす

 「即興の雨」とは音楽のよう。光の中を降ってくる雨を想像した。人間ではなく「パセリとして」この雨を享受しているのが楽しい。

 夢殿やくらげの脚をくしけづる
 てのひらを太鼓にかざす鳥の恋
 夏はあるかつてあつたといふごとく
 もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
 白骨となりそこねてや夢のハム
 ジェラートの燃えて宇宙が永き午后
 声がある故に光を振りむけばここはいづこも鏡騒なり

 本書には俳句のみならず、短歌、現代詩も収録されている。それらも「俳句」の周辺から「俳句」を探っていくような思索的な試みである。第8回田中裕明賞受賞作。



虎の夜食
中村安伸 著

発行:邑書林(2016年初版)
135ページ
定価:本体2,200円+税

 著者の第一句集。

 書物の川に書物の橋や夕桜
 秋の昼ヴァイオリンとは一人の森
 聖痕のごとく海図のごとく薔薇
 鰯雲どのビルも水ゆきわたり

 現代的な景色のようでもあるが、「水」が「ゆきわた」るイメージはリアルを超えて、水でできたビルが数多建っているような、その水の流れの音のするような、水の匂いが溢れてくるような錯覚をもたらす。

 馬は夏野を十五ページも走つたか
 儒艮とは千年前にした昼寝
 鳥帰る東京液化そして気化
 春風やわれもおみなを待つ厠
 美しい僕が咥へてゐる死鼠
 屍に女陰あり火星は淋しけれ
 京寒し金閣薪にくべてなほ

 三島由紀夫の『金閣寺』がモチーフか。燃える金閣寺の熱は薪をくべてもくべても京を熱したりはしない。しんしんと冷える京に断絶されながらも薪をくべ続ける作中主体を美しくも感じる。

 どの窓も地獄や春の帆を映し
 紅梅白梅海の中には仮の海
 十万億土に秋の団扇がひとつきり


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鑑(み)るという冒険


〜映画篇 演劇篇〜

文&俳句 猫正宗


第五十七回
『ゴースト イン ザ シェル』&『からまる法則』

 士郎正宗描く日本の漫画『攻殻機動隊』を原作に……というより、それを原作とした幾つかのアニメ作品、中でも『GOHST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(押井守監督)を基にした、ハリウッド製の映画。てなわけで、半ばお手並み拝見気分で観に行きました。映像面では流石としか言いようのない出来です。ファンサービスかリスペクトか、基の作品を彷彿とさせるシーンもしっかり再現。では、内容はどうか。脳以外は完全に機械化された体(義体)と、ネットワークに直接つながることのできる電脳を持つサイボーグが、本作及び原作群の主人公。原作漫画やアニメでは(立ち位置は微妙に違うのですが)、その設定から引き出される「人とは何か」「自分とは何か」「自分は存在するのか」「人と人に似てあらざるものの境界は」「意識もまた情報ではないのか」等々、科学的あるいは思索的な問いかけが大きな魅力の一つです。しかし本作では、それが「奪われた記憶と体=自分を取り戻すために戦う」という、いわばハリウッドヒーローにありがちな自分探しに置き換えられています。例えば、「体を」というところを除けば、『ボーン アイディンティティー』なんかを思い浮かべればご理解いただけるのでは? その結果、義体も電脳もテーマから離れ、未来っぽさやSFらしさを表現する小道具や仕掛けにすぎないものになってしまいました。
 あれ、「体を」も含めて、そっくりな話を観たことがあるぞ。あ、そうだ『ロボコップ』だ。敵の黒幕の正体もほぼ同じ。映像面に比べて、ストーリーにおける三十年の歳月って。
 いや、できるだけ大勢の人に観られる=誰にでも分かりやすい作品であることが、ハリウッド大作の大命題であることは、ある意味しようがないことではあるのです。ならば、本作も幾つかある『攻殻機動隊(ゴースト イン ザ シェル)』の変奏曲の一つ、原作に描かれていた生命や宇宙も含めたシステムの崩壊を回避するための多様性と揺らぎ、と考えるべきなのかも。ある意味ハードルの低い本作と縁をもった人が、願わくば、他の『攻殻』とも縁を結びますように。

 私に似て非なる君木下闇

 複雑に絡み合ったネットワークの世界から、社会や人間関係のからまりあいを描いたのが『からまる法則』(劇団銅鑼公演、作:小関直人、演出:松本祐子、出演:佐藤文雄、永井沙織、他、'17年5月15日、ひめぎんホール(県民文化会館)サブホール)ホームレス支援団体を舞台に、すれちがってしまった親子の確執を軸にストーリーは進んでいきます。本作で、からまるというのは、ほぼ、関わるということと同義に使われています。そんな関わりの中で、何組かの親子の関係が語られます。仮にからまりを解かなければならない問題と読み替えるなら、多分、ど真ん中からエイヤと解こうとしても、それはますますからまるばかりなのでしょう。社会とか世界とかの大きなからまりを解くにはきっと、端っこの小さな、身近なところから少しずつほどいていくしかないのかもしれません。

 キャベツという解もからまる法則に


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朝の見る句


No.4

蜂谷一人


泳ぐなり指の間に水生まれ  一人

 俳句の季語であれば「泳ぎ」は生活の季語。人間の泳ぎにしか用いません。しかし、勿論泳ぐのは人間だけではありませんよね。魚も泳ぎます。鳥も泳ぎます。虫も両生類も爬虫類も哺乳類も。それどころか、ゾウリムシもミジンコもプランクトンも……。考えてみれば当然です。だって生命は海で生まれたんですから! 泳ぎながら進化し、陸にあがってからも多くの種がいまだに泳ぎ続けているわけです。その長い長い進化の過程を、この絵はほのめかしています。逃げる魚を鵜が追っています。鵜は翼を鰭のように使うことのできる見事なスイマーです。それを蛙が見ています。少年は今まさに身を躍らせて水中に入ろうとしています。バシャーン! 水に入ったときの浮遊感。重力のくびきを解かれて上下に移動できる感覚。むかしむかし水にいたころの記憶が甦るのでしょうか。誰もが少し自由になり、本能に忠実になり、少しだけゾウリムシに近くなります。


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100年俳句計画 掲示板



テレビ ラジオ

NHK Eテレ『NHK俳句』
 日曜6時35分〜7時
 (再放送 水曜15時〜15時25分)
 夏井いつきが第3週選者を担当
7月16日(日)、再放送19日(水)
募集兼題
 「秋祭」または自由
投句締切 7月10日必着
投稿は葉書1枚に1句。選者名、兼題、俳句1句、名前、年齢、電話番号明記。
宛先 〒150ー8001 NHK「NHK俳句」係
ホームページからの応募も可
http://www4.nhk.or.jp/nhkhaiku/

NHK 総合テレビ(四国四県域)
  「四国 おひるのクローバー」内 隔週火曜
 『夏井いつきのムービー俳句!』
7月11日(火)、25日(火) 11時30分〜

TBS系列局 全国ネット
 『プレバト!!』
毎週木曜 19時〜19時56分
 夏井いつきが俳句の査定を担当

南海放送
 松山市政広報番組
 『大好きまつやま しあわせ未来塾』
毎週火曜 20時54分〜21時
(再放送 日曜11時40分〜11時45分)
 夏井いつきが塾長として出演

南海放送ラジオ
 『夏井いつきの一句一遊』
毎週月〜金曜 10時〜10時10分
  「一句一遊情報局」のコーナー参照

FMラヂオバリバリ
 『俳句チャンネル』
毎週月曜 17時15分〜17時30分
(再放送 火曜7時15分〜7時30分)
投句募集兼題
「水羊羹  砂日傘」7月2日締切
「ラベンダー 『ラヂオ』+夏の季語」7月16日締切
「秋草  太刀魚」7月30日締切
 WEB http://www.baribari789.com/
 mail radio@baribari789.com
 FAX 0898(33)0789
  投句には本名 住所をお忘れなく!
  「天」の句にはキム チャンヒのイラストポストカードが贈られます。

各番組の放送予定は変更される場合がございます。新聞などで最新情報をご確認ください。


執筆

松山市の俳句サイト
 『俳句ポスト365』
http://haikutown.jp/post/
 「俳句ポスト365」のコーナー参照

テレビ大阪俳句クラブ
http://www.tv-osaka.co.jp/haiku_club/

ジュニア愛媛新聞スマイル!ピント
 「集まれ俳句キッズ」(夏井いつき選)
  毎週日曜タブロイド判8ページ

朝日新聞愛媛俳壇(夏井いつき選)
投稿は葉書1枚に5句以内(未発表句)。裏面に作品と共に住所、氏名、電話番号を明記。
朝日新聞松山総局(〒790−0003 松山市三番町4−9−6 NBF松山日銀前ビル)まで。



イベント 講演等

南方熊楠翁生誕150周年記念
 田辺市熊野俳句大会
7月2日(日)13時〜16時
 紀南文化会館(和歌山県)
 参加費は無料ですが、入場券が必要です。
問合先 田辺市熊野俳句大会事務局
電話 042(572)3151

平成29年度藤陵会広島県支部総会
 夏井いつき講演会「100年俳句計画」
7月9日(日) 13時30分〜14時30分
 クレトンベイホテル(広島県)

第46回光市民夏季大学第2講座
 俳句は脳に効く 夏井いつき句会ライブ
7月12日(水)18時30分〜20時
 光市民大ホール(山口県)
 費用 3講座共通券は完売。
  単講座券は、当日余席がある場合に限り、光市民ホールで発売します。
  一般 1500円
  会員 学生 1200円
  障がい者 600円 
  高校生以下 無料
問合先 光市民ホール
電話 0833(72)1441

子規 漱石生誕150年記念
 俳都松山キャラバン2017 in 熊本 十七音が未来を変える
7月16日(日)13時〜
 くまもと森都心プラザ プラザホール(熊本県)
 入場料は無料ですが、整理券が必要です。
申込方法
 「キャラバン熊本会場希望」と明記し、郵便番号、住所、代表者氏名、電話番号、申込人数を添えて、
 松山市役所 文化 ことば課まで、郵送、電話、Eメールのいずれかでお申込みください。
問合先 松山市役所 文化 ことば課
〒790ー8571 愛媛県松山市二番町四丁目7番地2
電話 089(948)6524
Eメール haito@city.matsuyama.ehime.jp

俳句を詠もう2017
 思いのままに5☆7☆5 in 坊っちゃん劇場
7月22日(土) 13時〜16時30分
 坊っちゃん劇場(愛媛県)
 対象 小 中学生および保護者
申込方法 抽選で450名様ご招待(一家族5名様まで)
 伊予銀行のホームページ内のお申し込みフォームに、必要事項をご入力ください。 当選者には7月上旬に入場券を郵送します。
申込締切 6月26日(月)
問合先 伊予銀行広報CSR室 廣川
電話  089(941)1141(代表)

第23回全国「かまぼこ板の絵」表彰式
7月23日(日) 10時30分〜12時
 西予市立美術館 ギャラリーしろかわ(愛媛県)
 夏井いつきは審査員のひとりです。
問合先 ギャラリーしろかわ
電話 0894(82)1001

「ワンダーサマースクール2017」内
 夏井いつき特別講習 ことばとこころを磨く俳句の力
7月26日(水) 9時50分〜17時45分(うち、14時45分〜16時15分)
 杉並公会堂大ホール(東京都)
 対象 幼稚園 保育園 認定こども園などの幼児教育 保育関係者
 受講料 2日間 12000円
     1日 6000円
(税込 テキスト代含む)
申込締切 7月18日(火)
問合先 ワンダーサマースクール事務局
電話 03(3938)9307(月〜金 10時〜18時)
FAX 03(3976)5675 (24時間受付)


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魚のアブク



読者から寄せられたお便りをご紹介
お便りお待ちしています!
100年俳句計画編集室「魚のアブク」宛、もしくは他の投稿に添えてお寄せください。


中山月波 初めてマガジンを購入しました。情報満載で楽しいですね。色んなコーナーに投稿して、また楽しみが増えました。

くらげを 三ヶ月間「100年の旗手」に載せていただきありがとうございました。とある句会に「載りましたー!」と持って行ったら、ご一緒させていただいた涼野海音さんがたまたまいらっしゃっていてびっくりしました。

葉音 元同僚をハイポニストにすることに成功! 少しずつですが、俳句の種蒔き運動を進めています。

矢野リンド やった! 詰め俳句正解しました。誉茂子さんとベルフラワーさんと俳句バーへ行ってみようと、三越で待ち合わせをして「ほやけん」に行きました。その時に誉茂子さんが詰め俳句「茅花流しで出したけどリンドさんは?」と聞かれて「私も!」と言いました。大正解! 嬉しいです。マイマイさんいつも素敵な例題をありがとうございます。

明惟久里 「愛のつぶやき」に、車などのナンバーが「819」「575」だと……とあり、愛車を確認しましたが全く意味のない数字。ゆっくりぼちぼちまた俳句とも向き合います。皆さまどうぞステキな夏を。


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鮎の友釣り


第228回


俳号 大五郎

前回 三津浜わたるさんへ 俳句甲子園実行委員長として、年々風格を増してこられ頼もしいです。私生活面では、我が家の間仕切り工事もお世話になりました。職人の技に娘が感激しておりました。今後も酉年同士、俳句甲子園のみならず松山の俳句文化を楽しんで参りましょう。

写真 俳句の場面では私服だったり、俳句甲子園のTシャツだったりなので、キリリと真面目にスーツの写真を選びました。

近況 思い通りにならないことを楽しむ胆力を養成中。ままならぬことも俳句のタネと思い、在庫をストックしています。

次回 竜胆さんへ 木曜カルチャー、俳句甲子園実行委員会でご一緒させていただきありがとうございます。年齢を感じさせない、エネルギッシュな竜胆さんにいつも刺激を受けています。定年後は竜胆さんのように過ごしたいなあ。


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告知



100年俳句計画作品集
100年の旗手

第3期連載者募集のお知らせ

 「100年の旗手」は、年齢や俳句の経歴に関わりなく、本誌にて作品の発表が出来る場として、新たにスタートを切りました。
 そこで、毎月10句3回の連載に挑戦する方を募集します。10月号に掲載できるタイトル付きの10句の作品を、Eメール、または郵送 FAXにて本誌編集室までお送り下さい。
 編集室にて連載者を決定し、掲載いたします。
 多数の挑戦者をお待ちしております。

募集内容 10月号に掲載できるタイトル付きの10句
応募先  
 Eメール magazine@marukobo.com
      *件名に必ず「100年の旗手応募」と明記して下さい。
 郵送  〒790ー0022 愛媛県松山市永代町16ー1
     有限会社マルコボ.コム「100年の旗手」応募係 
 FAX  089ー906ー0695

2017年度第3期締切 8月20日(日)

第2期連載(7月号〜9月号)は、都合により休載いたします。
ご了承ください





春夏秋冬笑顔
まつやま福祉
五七五

福祉をテーマにした夏の五七五募集
(第2回 2017年8月3日締切)

年4回、福祉をテーマにした五七五を募集します。
人に優しくなれるような、五七五をお待ちしています。


2016年度 夏の五七五 会長賞
薫風や駅長の押す車椅子  dolce(ドルチェ)

応募方法
インターネットの応募フォームにて応募して下さい。
専用フォーム http://www.marukobo.com/egao/



賞品「松山トリコ」
大賞 (松山市社協会長賞) 道後温泉湯玉トートバック(1点)
優秀賞 ブックカバー(3点)
入賞 紙の湯カードケース(4点)

発表 ハイクライフマガジン『100年俳句計画』6月号ほか

問い合わせ 電話 089-921-2111


主催 松山市社会福祉協議会
   有限会社マルコボ.コム(ふくし句会 ハイクライフマガジン『100年俳句計画』)選句
協賛 JAえひめ中央 社会福祉協議会賛助会員





俳句対局 第五回
龍淵王決定戦

8月26日(土)13時30分〜
会場 子規記念博物館視聴覚室

出場観覧ともに無料。
問合、申込は マルコボ.コム 089-906-0694


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編集後記


キム チャンヒ

 今回の「俳句県みんなで詠むぞ575」で、一番達成したかったことは、グループや結社、世代や立場を越えて、俳句を愉しむ方々が交流する場を作ること。年に一度くらいは、何か一つの目的で俳人たちが集まり、次の世代に向けて議論し考え発信をする。そんな場がこの街に生まれれば、真の「俳都」と呼べるのではないかと思ったからだ。
 当日まで、どれほどの人がシンポジウムにいらっしゃるのか、全く想像できなかった。しかし、ふたを開ければ、新たに椅子を出さなければ座れないほどの観客に埋められていた。
 坪内稔典さんをはじめ、この企画に関わった方々のご尽力により、沢山の方に来て頂いた。この場を借りて、お礼を申し上げます。
 また、来て頂いた方々の期待に応えるべく、今回で終わりにするのではなく、次々と新しい企画や提案をしていきたいと思っている。その時は、ぜひ足を運んで頂きたい。
 ちなみに6月20日付け愛媛新聞に特集記事が掲載されている。こちらの方も合わせて読めば、シンポジウムの全容が手に取るように分かる。興味のある方は、そちらの方もご一読を。


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次号予告


237号 8月1日発行予定

新聞記事を黒く塗れ! クロヌリハイク入門



お得で便利なマルコボ.コム直販定期購読! 巻末の案内をご覧ください
お申し込みの方へ、毎月末頃に最新号を送料無料でお届けいたします!
(住所変更の際は必ず編集室までご連絡ください)

『HAIKU LIFE MAGAZINE 100年俳句計画』は以下の書店でもお買い求め頂けます。

愛媛県
 明屋書店 ※一部店舗のみ
 ゆらり内海(愛南町)
 原田書房(今治市)
 子規記念博物館(松山市)
 紀伊國屋書店松山店
 ジュンク堂書店松山店


HAIKU LIFE MAGAZINE 100年俳句計画
2017年7月号(No.236)

編集人 キム チャンヒ
発行人 三瀬明子

2017年7月1日発行